リスクしかない組体操がなくならない理由
二児の母でもあるライターの堀越英美さんが、日本の小学校教育のタブーに踏み込みんだ著『不道徳お母さん講座 私たちはなぜ母性と自己犠牲に感動するのか』(河出書房新社)。
歴史をさかのぼり、母性幻想や自己犠牲への感動に満ちた道徳観がいかにつくられたか明らかにする本書では、なぜリスクまみれの「組体操」を続けるのか、運動会の謎を紐解きます。
※以下、『不道徳お母さん講座』より一部を抜粋し、著者の許可のもと再構成したもの。
ここ10年で急速に広まって問題視されている学校イベントに巨大組体操がある。問題はわかりやすい。後遺症が出るほどの事故が毎年のように起きているからだ。
先生にしたって、指導がめんどうなうえに訴訟リスクがバカ高い組体操なんて、できれば避けたいと考えるのが普通ではないだろうか。一見すると子供にも保護者にも先生にも利益がなく、リスクだけは異常に大きい巨大組体操が瞬く間に全国に広まったのは、まったく不条理に思える。
先生は「やめたくても保護者ウケを考えるとやめられない」と言い、保護者は「組体操はやめさせたいが学校が取り合ってくれない」と愚痴る。経験者はもちろん、「つらかった」と語る。あるとき、組体操の記事のコメントでこんなツイートを見かけた。「うちの地域では『保護者ウケがいい』ではなく『地域ウケがいい』だった」。
「地域」、子供が小学校に上がったとたんやたら目にするワードだ。
小学校の運動会では、観覧正面側がテント付き、椅子付きの「来賓席」「敬老席」に占拠されていることが多い。PTA役員がすることといえば、来賓へのお茶くみ接待である。まるで運動会自体が、地域の有力者接待のために存在しているかのようだ。
『近代教育の天皇制イデオロギー――明治期学校行事の考察』(山本信良、今野敏彦)によれば、子供が競い合う姿を地域住民が鑑賞したがるのは、今に始まったことでもないようだ。
江戸時代の寺子屋では、「席書」と呼ばれる書道大会が一大イベントだった。この日は父兄のみならず地域住民が多数集い、戸外から師匠や子供たちのテクニックを品評する。運動会ではなく書道クラブなのは、寺子屋に体育がなかったからである。
国家の教育方針が知育重視から徳育・体育重視に変化する明治中期より、全国の小学校に運動会が普及するようになる。そのきっかけは初代文部大臣・森有礼が小学校に軍隊の規律と秩序をもたらすべく導入した「兵式体操」である。
森は兵式体操の披露の場には運動会がふさわしいと考え、全国の学校を巡視して運動会の開催を奨励した。大臣や政府高官がやってくるということで、各地の小学校はあわてて運動会を開催することにした。
子供たちはラッパを吹き鳴らしながら隊列を作って会場へと移動する。これも兵式体操の実践となった。小学校運動会はその起源からして、学校が子供たちに従順さと団結心を仕込んだことを偉い人に披露するためのイベントだったのだ。
それでも運動会は娯楽の少ない子供たちにとっては楽しいイベントだったし、親や地位住民にとってもそれは同様だったろう。当時は学校対抗運動会だったこともあり、地域住民も観覧して町ぐるみ村ぐるみで子供たちを応援していた。
リスクしかない組体操、なぜやめられない?
地域の偉い人に“従順さ”と“団結心”を披露する場
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