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田舎のダサ女子が初の海外留学で涙ポロポロ…グランドスタッフになった私の原点

 こんにちは。ライターの高木沙織です。  かつてグラホ(グランドホステスの略、現在のグランドスタッフ)として6年間勤務していた私。みなさんも空港で接する、航空会社の地上職員です。
グランドスタッフの裏話 VOL11

写真はイメージです(以下同)

 前回の10話では私が青鬼になった話で熱くなってしまいましたので、ちょっとクールダウンをして番外編。エアライン勤務を夢見た私が初めての海外留学を決意するまでの話しをしていきましょう。

田舎のダサい中学生だった

 私の出身は千葉県成田市。成田空港と成田山、うなぎで有名なところです。  自宅があったのは、成田空港から車で20分ほど離れた田畑に囲まれたのどかなエリアで成田市内でもかなーり、自然豊かな場所。中学生の頃は地元の学校まで片道40分かけて自転車で通学をしていました。 ダサい中学生からの反動で都会へ 勘のいい方はすでにお気付きかもしれませんが、私、元ヘル中生です。大人になった今なら、安全のためにヘルメットをかぶることが大事だと納得できますが、当時は嫌で嫌で仕方がなかった。ヘルメットだけでも嫌だったのに、さらには服装がジャージですよ? 体育の授業があろうがなかろうが……。  田舎の学校なので動きやすさが優先だったのでしょうか。確かに座りっぱなしの授業中も締め付けがなく快適ではありましたが、ジャージ姿でヘルメットをかぶり、自転車通学をすることが当時の私には耐え難かったな。憧れの格好いい先輩もクラスの可愛い子もみんな同じ格好なのだけど、「こんな格好をしている私のことなんて見ないで感」がハンパなかったです。  全校集会がある月曜日は唯一制服の出番で、この日が毎週待ち遠しくて。ちなみに月曜日以外に制服を着ていくと、生活指導の先生から「ジャージに着替えなさい」と注意される……なぜ!  だから、高校は電車通学とかわいい制服であることを基準に志望校を決めて受験をしました。

コギャル全盛期の高校時代

著者の高木沙織さん

著者の高木沙織さん

 はれて第一志望の高校に入学した私は、とにかく制服を着られることが嬉しかった! ブレザーに赤いリボン、ギンガムチェックのスカートはこれまでジャージで過ごしてきた暗黒の時代を忘れさせてくれました。地元では、「制服かわいいね」と褒められ、気に入りすぎて休日に制服で出かけたりもしていたくらい。コギャル最盛期だったので、スカートを短くしてルーズソックス、ラルフローレンのベストを着たりもして。  さて、電車通学はというと自宅からの最寄駅である成田駅を使っていました。最初こそ他校の生徒を見てはオシャレだなー、とドキドキしていましたが、もっと刺激的だったのが外国人の多さ。  成田駅の先には成田空港駅があり、旅行客や航空会社職員がホテル利用や観光で下車するためです。駅で電車を待っていると、「〇〇へはどう行くの?」という質問から、「Hi」と気軽な挨拶、ときには世間話しを振られることもあり、「えっと…」と目を泳がせながらたどたどしい答えしかできない自分がもどかしかった。「あー、私格好悪いな」って。 「もっと英語が話せるようになりたい!」そう思った私がまず思い浮かべたのは母。

英語に目覚め英文科へ進学

 母は外資系エアラインで働いていて語学が堪能でした。思えば、仕事から帰るといつも机に向かって勉強をしていた。 「まずは学校の英語の授業に力を入れなさい」、という母の言葉にリスニングやライティングは成績が向上。スピーキング力は弱かったものの、自信がついてきます。  進学先は迷わず英文科を選択。母の母校です。同じ講師と同じテキストから、ときには母に勉強を教えてもらい、駅で外国人に話しかけられても堂々と答えられるようになったのは18歳の頃。 「冬休みを利用して語学留学をしたい」、と両親に相談をしました。私の心には、将来母のようにエアラインで働くために英語力を磨きたいという気持ちが芽生えてきていたのです。返ってきた答えは一言だけ、「行ってきなさい」。  これが私の初めての海外経験となります。
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留学先は日本と季節が真反対のあの国
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