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自分が選択しなかった生き方を否定しても不自由になるだけ/島本理生×鈴木涼美対談<後編>

鈴木涼美さん

「普通の人の抱えている不幸はなかなか言語化されづらい」(鈴木)

自分の凡庸さを受け入れることが重要

島本:総合商社に勤める夫との結婚生活は安定しているのに、承認欲求が満たされずに不倫を繰り返す女性が、最終的に不倫ではなく資格取得によってその欲求を満たそうとするエピソードがありましたけど、それに対する鈴木さんの分析もおもしろかったです。普通、仕事をし始めたり資格取得に励んだりといった社会参加に対しては肯定的な見方をすることが多いと思うんですが、不倫が資格取得に替わっただけで、本当に重要なのは「自分の凡庸さを受け入れることだし、自分の代替不可能性を毎日実感していなくても、まっとうに生活できる冷静さを獲得することなのだ」と。 鈴木:外側からの評価によって圧倒的な自分の価値を感じられないと気が済まないという渇望感と折り合いがつけられないうちは、資格を取っても仕事を始めても、結局新しい不安や迷いが生じるんだろうなあと思って。 島本:企業に就職することの利点として、「(多くのサラリーマンが)自分が何者かであるかもしれないという期待など、新人研修が終わって1週間で生ゴミと一緒に捨てていることがわかる」と書いていますが、ここを読んで、人は「これさえあれば満たされる」と幻想を抱いて探しているものが実はどこにもないんだと納得していくための旅が生きることなんだなと改めて思いました。
島本理生さん

「『これさえあれば満たされる』と幻想を抱いて探しているものが実はどこにもないんだと納得していくための旅が生きること」(島本)

母親は娘に理想を押し付けてしまいがち?

鈴木:お金持ちと結婚して専業主婦になるんだ!と宣言して実際かなえた女性が、ゴールに設定していたはずの生活では飽き足らず、結局働き始めてキャリア志向になったりする例を見ていると、お金持ちと結婚する度胸と覚悟、そして実力があったのに、それだけで満足はできない身体になっているんだなと感じます。一つには、外で働くことが当たり前とされる男性たちと同じだけの教育を受けてきて、知識があることもある。ただ、自分は満たされていない、幸せじゃないと思わせるのって、「あの子からはこう見えてるんじゃないだろうか」「負け犬に見えていないだろうか」という、自分で勝手に作り上げた他者からの目線である場合も多い気がします。 島本:女同士だと、言葉にしなくてもわかってしまうことが多いからキツいというのもありますよね。母親と娘もそうで、過去の自分の経験から、わかることも多いから、ついつい理想を押し付けてしまったり。私は息子がひとりいるんですが、どこかでやはり異性である息子にはそこまで期待をし過ぎていないというか、まあ元気だったらいいよ、くらいで。でももし娘がいたら、「女の子なんだから料理くらいしなさい」とか言い出してしまいそうな気がする……。自分は外食でも気にしないし好きなことをして生きていけばいいと思ってきたくせに。 鈴木:私はよく母に、「またくだらない男と付き合って。男のほうはヤリたいだけなのに、そんなんでモテる気になってバカじゃないの?」と言われてました。母としては自分の価値観を押し付けたいわけではなく、自分も傷ついてきたからこそ助言しているんだけど、それがまた子供を縛り付けることにもなっている。難しいですよね。自分が経験したうえで掴んだ、絶対的に譲れない正しさがあるなら、もちろん次の世代が自分と同じ傷を受けないようにその価値を語りたくなる。でも語ってしまえば呪縛のように彼らが自分たちで選ぶ自由を阻害することにもなりうる。 島本:多様な価値観を受け入れて、押し付けないことは大事だけど、親子や恋人の間では、そういう態度が相手に対して無責任な印象を与えてしまうこともあるから、時に踏み込むことも大事ですもんね。難しい……。
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解消されない傷をちゃんと叫ぶ主人公を書いていく
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