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自分が選択しなかった生き方を否定しても不自由になるだけ/島本理生×鈴木涼美対談<後編>

解消されない傷をちゃんと叫ぶ主人公を書いていく

鈴木:相手を見下したり、私のほうが正しいと思ってマウントするのは疲弊するけど、そうではなくて異なる立場だからこそ伝えたい助言や価値はあるんですよね。でも、まったく逆の立場から攻撃的にならずに思いを伝えることって果たしてできるんだろうか。 島本:今回の『夜 は お し ま い』は、SEKAI NO OWARIのSaoriさんが「島本さんの小説はいつも、自分は傷ついているのだと気づかせてくれる」という帯コメントをくださったんですけど、『群像』の書評で鈴木さんも近いことを書いてくださっていましたよね。それで改めて気づいたんですけど、私は、この小説を書くことで、傷ついているとか怒っているということを、ただ叫びたかったんだなって。怒りって、特定の誰かを傷つけるもの、攻撃するものと思われがちだけれど、そうじゃなくて、ただ叫ぶのって大切なことなんじゃないかと思うんですよ。若いときはそうやって叫ぶことでさらに傷つくのが怖くて沈黙して、そのまま時が流れてしまうことがたくさんあるけれど……。 鈴木:言葉に出さなければその傷はなかったことになるのかというと、そんなことはないですもんね。 島本:未来の自分への借金みたいなもので、解消できなかった怒りが定期的に湧いてきたり、自分を傷つけてきた相手が別の場所でまた違う誰かを傷つけていたり、人を傷つけたことをスコーンと忘れて幸せになっていたり……そのたびに自分はまた傷ついて、半永久的に傷はなくならなくて、むしろ利息がどんどん増えていく。口に出しても黙っても傷つくなら、その解消されない傷をちゃんと叫ぶ主人公を書いていかなければいけないんじゃないかって最近は思うようになりました。

どんな傷を受け得たのかを知るために

鈴木:自分のしてきたすべての選択が正しいということにしてしまうと、異なる選択をした相手を攻撃したり否定することでしか自分を保てなくなるじゃないですか。それってとても不自由だと思うんですよ。たとえば「援助交際をやってみたけど傷ついた」と言ったときに、「じゃあやらなきゃよかったじゃん」と返されてしまうと、それはそうなんだけど、こちらも「知らない人にはわかんないよね」という気持ちになってしまう。そうではなくて、選んだのは自分だけど、それによって傷ついたり満たされなかったり、苦しかったりしたときに、「傷ついた」とちゃんと言えて、相手もまたそれを否定せずに受け入れることで、自分が経験していないことによってどんな傷を受け得たのかを知ることができる。自分の経験によって他者に似たようなことが起こることを防げるし、自分自身の心がゆるゆるとほどけていく気がします。それと、感じ方は人それぞれ、という当たり前の事実と、バランスを取るのは本当に難しいけど。どんなに価値を語ったところでそれが人の行動に必ずしも歯止めをかけるわけではないから、語る自由と、語られたうえで最終的には自分で選ぶ自由が両方保証されるべきです。 島本:そうですね。今日お話ししてみて、こういう女性の声、こんなこと書いていいのかなという部分をあえて言語化していく、というのが自分にとってすごく重要なんだなと改めて思いました。 ●島本理生 83年、東京都生まれ。高校在学中の01年に『シルエット』(講談社)で第44回群像新人文学賞優秀作を受賞。18年『ファーストラヴ』(文藝春秋)で第159回直木賞受賞。高校教師と元生徒の純愛を描いた代表作『ナラタージュ』(角川書店)は、17年に映画化され話題を呼んだ。20年2月には、15年に島清恋愛文学賞を受賞した『Red』(中央公論新社)が映画化される。最新刊『夜 は お し ま い』(講談社)が発売中 ●鈴木涼美 83年、東京都生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。専攻は社会学。キャバクラ勤務、AV出演、日本経済新聞社記者などを経て文筆業へ。著書に『「AV女優」の社会学』(青土社)、『おじさんメモリアル』(扶桑社)など。最新刊『すべてを手に入れたってしあわせなわけじゃない』(マガジンハウス)が発売中 <取材・文/牧野早菜生 撮影/福本邦洋>
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