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蜷川実花の新ドラマに「昭和の価値観」と批判の嵐…蜷川実花にイラつく8つの理由

 2月末から世界190か国で配信が開始された「FOLLOWERS」は、写真家・蜷川実花がはじめて手掛けた配信ドラマである。
 これが配信早々、なかなか辛辣(しんらつ)な批判に晒(さら)されている。的確過ぎる批判コラム(『「新世代のリアル」をテーマにしたNetflixの「FOLLOWERS」が化石みたいな価値観まみれな件について』)がバズり、それに賛同した社会学者の岸政彦が“冒頭の10分ぐらい見て耐えきれなくなって見るのやめた。脚本や演出だけでなく撮影も美術もすべてがとにかく凡庸で陳腐きわまりない”(3月4日のツイート)と肯定ツイートしていた。アイタタ……。  匿名アカウントの無責任な言葉と比べ、文化系の知識人たちが論理的な文章で良くない点を挙げて、それが拡散されていくと否定意見が圧倒的に正義になっていく。「賛」の人は、インスタやYou Tubeユーザーの若い世代や女性などで、シンプルに「面白い!」「可愛い」「萌える」というような反応なので、否定派の論理にはかなわないのである。

蜷川実花をモデルにした主人公はツッコミどころに溢れている

 最たる否定ポイントは、描かれている女性の生き方に昭和の価値観がこびりついていて、令和のいまにふさわしくないというようなものである。  確かにそうで。主人公である、蜷川実花自身をモデルにしているとされる人気フォトグラファー(中谷美紀が金髪ショートにしてビジュアルも蜷川に似せてきている)が、地位も名誉も名声もお金も人脈も何もかも獲得し上り詰めた末、子供を生み育てるという女の特権も獲得しようと足掻(あが)くお話はツッコミどころに溢れている。  それと、物欲旺盛の登場人物たちの姿は、富裕層と貧しい層の格差拡大が危ぶまれるいま、その分断(富裕層側)に加担しているところが気にかかる。

蜷川実花の映画はどれもたいていネットの生贄になってきた

『人間失格 太宰治と3人の女たち』 このような蜷川実花批判は「FOLLOWERS」に限ったことではない。むしろ、また蜷川実花が……という印象だ。  蜷川実花は過去、写真家としての活動の傍ら、映画作品を数本撮ってきて、そのどれもがたいてい批評の礫(つぶて)を食らってきた。安野モヨコの人気まんがを原作にしたデビュー作「さくらん」(07年)はデビュー作ということもあってまあまあ見逃されていたような気がするが、岡崎京子の代表作のひとつ「ヘルタースケルター」(12年)、昨年、公開された2作「Diner ダイナー」(19年)、「人間失格 太宰治と3人の女」(19年)などは賛否両論が渦巻いた。  以前は、興行成績さえよければ、否定の声は埋もれてしまう傾向があったけれど、いまはネットであらゆる声が可視化される。誰もが公平に意見を言えることによって炎上という地獄を生き残っていかないといけない時代、蜷川実花は格好の生贄(いけにえ)になっているように思う。  ではここで、改めて、蜷川実花の何がそんなにイラつかせるのか、ポイントを8つ挙げてみよう。

1.おいしいとこどりしている感

蜷川実花(文藝別冊)河出書房新社

蜷川実花(文藝別冊)河出書房新社

 これまで映画は撮るが、意外とドラマには手を出していなかった蜷川実花。低予算のテレビドラマには目もくれず、予算豊富、世界配信、という好条件のネトフリと組むところがさすがである。 「FOLLOWERS」にはGIVENCHY、Dior、GUCCI、ルブタン、ティファニーなどハイブランドの服や靴やアクセサリーの数々が登場し、パーティー会場やアートの展示会場、登場人物の部屋や仕事場なども、昨今の邦画やテレビドラマにないゴージャスさで、テレビドラマや邦画では制作不可能であろう。  不況の世の中で、なぜ、蜷川実花ばかりが予算を使いたい放題(に見える)なのか  ナットクいかない。  また、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事もやっていることも、オリンピック特需にすかさず関わる感じがしてしまう(いまはオリンピックもどうなるかわからないが)。
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七光り感、よそ者感、文化の香りがしない感…
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