風俗のことを書こうかと思った。確かにドラマチックだったけど、大して私の人生の根本には作用していない気がした。
美容整形はどうだ? 言われてみれば人生のターニングポイントだった気もするけれど、それも「私を作った」とは言い難い。
じゃあ、なんだろう。と、考えに考えてたどり着いたのは、「母親」だった。そう、確かにあの人が、今の私を作ったのだ。
幼い頃から、「ブサイクだ」「頭の病気だ」と罵られてきた。小学生の頃、七夕の短冊に「お母さんになりたい」と書いた私を「あんたみたいな不細工で病気の子が子供を産んだら、その子が不幸になる」と窘(たしな)めた。
「あんたは、不幸になるよ。だってあんたは、不細工だから。だってあんたは、頭がおかしいから。だってあんたは、母さんの子だから」
傷ついたつもりはなかった。気にしてるつもりもなかった。
だけど、後から気づいた時には遅い。私の内側にできた傷はいつのまにか化膿していて、母親からの言葉の呪いは、後からじんわりと、だけど確かに効いていたことを知った。
強い毒ほど、後から効果を発揮する。水商売を始めたのも、美容整形をしたのも、母がきっかけだった。そう、まさしく。確かに母が、私を作り上げた。母の呪いの言葉たちは、私の美意識や自己肯定感を捻じ曲げて、今となってはもう、正しい姿がどうだったかも、分からない。
※画像はイメージです(以下、同じ)
私の母は、可哀想な人だった。特別美しくもなくて、それでいて、歪んだ「人生観」を持っている。「美しい人だけが幸せになれる」という人生観である。
「あの子、不細工だよね。あんまり仲良くしなくていいんじゃない」
「あの子は可愛いから、もっと気にかけてあげなさい」
「あんたはあの子より不細工だから、幸せになれないよ」
彼女はそうやって、容姿と幸せをつなげた考えを、私に伝え続けていた。そしてその言葉たちはおそらく、彼女の真ん中にある劣等感が作り出したものだ。
私の母は、気づいていた。自分が美しくないことを。そして彼女は確信していたのだ。自分が、幸せになれないことを。可愛いものが好きなはずの彼女は、いつも地味でよれた安物の服を着ていて、何も欲しがらなかった。ただ安月給のパートをしながら、美人な友達や芸能人を羨んで、いつも歪んだ顔をしていた。