取材を終えようとすると、谷口さんが再び口を開いた。
「これだけ葉月への恨み言を言っていながら、なんなんですけど、
実は僕、心のどこかで、葉月は“被害者”だと思っています。あの毒親から何とかして引き離すことさえできれば、今からでも正常になるかもしれないって」
驚いた。人生を狂わされ、わが子まで連れ去られたのに、なぜそんなことが言えるのか。
「葉月は幼い頃から、母親の精神的支配下にありました。にもかかわらず、たった3度しか会っていない僕との結婚を決意して、単身海外に来てくれたんです。親元を一度も離れたことがなく、実家の街から一歩も出たことがないのに、ですよ?
おそらく葉月は、生まれてはじめて一世一代の賭けに出た。これで親から逃げられるかもしれないという望みに賭けた。結果的にそれは『一時的に、義母に泳がされている状態』だったわけですが……。それを思うとね、やりきれなくなるんです」
谷口さんは「もし、葉月と子供たちを先に帰国させていなかったら、あるいは……」と言いかけた。しかし、あの凄まじい毒親であれば、どんな方法を使ってでも、葉月さんを手元に置こうとしたはずだ。
「わかっています。長年の精神的DVから逃れるのは、言うほど簡単じゃない。信頼できる友達のいなかった葉月が、囚われた精神を自力で解放させるのは無理だったでしょう。あの親を見ていて、つくづくそう思いました」
時おり、ため息が混じる。
「ときどき思うんですよ。
『わが子をわが手に留めておきたい』と願う気持ちって、僕も、葉月も、そして葉月の両親も、根本の部分は同じなんじゃないかって。ただ、葉月の両親はそれが強すぎただけなんじゃないかって」
正直、谷口さんのお人好しさ加減にイラッとした。明子さんとの生活費を10年以上にわたって全額負担し、子供たちを奪った葉月さんに対しても惜しみなく同情する。先ほど谷口さんが口にした「滅私のボランティア精神」という言葉が思い出される。
会計を済ませて席に戻ると、谷口さんは笑顔で「僕がおごるから」と2軒目に連れて行ってくれた。感じのいいバーだ。行きつけにしているという。酔いの回った谷口さんは、また話し始めた。
「十中八九、子供たちの親権は取れないし、再々婚も無理だと思います。これで離婚が成立すれば、バツが2つもついた、養育費を毎月がっぽり払い続けている50前のおじさんですからね、僕は」
「結婚って、なんなんでしょうねえ」と言いながら、グラスをじっと見つめる谷口さん。
「
結婚は更新制の2年契約にすればいいと思うんですよ。次の2年も夫婦でいたいなら、継続する。そうでなければ終わり。惰性の自動更新はなし。……そうだ、これは夢なんですけどね」
谷口さんは顔を上げ、視線を斜め上に向けた。
「60歳を過ぎて、子供はいないけど子供は育てたい、比較的財力のある男がいたとします。そういう男が、同じ気持ちの別の男と共同でね、やむを得ない事情で親が育てられなかった子供を引き取って、ふたりで育てればいいと思うんですよ。恋愛感情でつながった同性カップルということではなく。子育てを目的に組まれた、共同事業のパートナーというイメージです」
その男とは、谷口さんの10数年後の姿なのか。
「
親の役割を担うのは、異性同士でも同性同士でも、1人でも2人でも3人でもいいと思うんです。経済的にも、時間的にも、精神的にも、育てられる余裕のある人が育てればいい」
いいじゃないですか、と相槌を打った。
「育ての親を選べなかったかわいそうな子供たちが、世の中にはたくさんいるんですよ。私の娘たち、そして葉月も、そのひとりです」
<文/稲田豊史 イラスト/大橋裕之 取材協力/バツイチ会>