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末期がん妻が病床で「料理を作りたい」と言い続けた理由。遺したレシピ2つ紹介

 僕の妻は2017年夏、メラノーマ(悪性黒色腫)と診断されました。半年後には肝臓への転移が判明し「ステージ4」と告げられます。家事能力ゼロの僕に、妻は鬼コーチとなって必死で料理を教え、その時間は僕らにとってのオアシスとなりました。
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絵/藤井玲子(妻)

 そして、いよいよ妻が危なくなったとき、妻の心を支えてくれたのは大阪のおばちゃん力でした。11月27日に出版された『僕のコーチはがんの妻』(KADOKAWA刊)をもとに当時を振り返りたいと思います。

ホタルイカのパスタを食べた夜、救急搬送

『僕のコーチはがんの妻』(KADOKAWA刊)

『僕のコーチはがんの妻』(KADOKAWA刊)

 がんの転移が告げられても妻は僕に料理を教えることをやめなかった。  夕食は料理特訓の時間。その日は「ホタルイカと菜の花のパスタ」(記事末でレシピを紹介)をつくった。オリーブオイルをフライパンにひき、にんにくとトウガラシをカリッと炒めようとしたら、「中華料理とちゃう! まっ黒焦げになるやろ。弱火でゆっくりオイルににんにくの香りを移すんや」と手厳しい。  ホタルイカと菜の花を入れて炒め、ゆで上がったパスタを混ぜたらできあがり。ホタルイカをかみしめると、うまみがホロッと口の中にほとばしった。白ワインが止まらない。「私の言った通りにつくればまずくなるはずがないわな」と妻はふんぞり返った。  夕食後しばらくして僕が自室で用事をすませていると「ミツル、ミツル!」とくぐもった悲鳴が聞こえた。あわててリビングに行くと、「痛い、痛い」とうなって倒れている。「救急車呼ぶわ」と僕が叫ぶと、「その前にがんセンターに電話して。それから、靴と診察券と下着を用意して」。激痛に襲われている妻の方が冷静だ。生まれてはじめて救急車で運ばれた。

病院の大部屋は女子高生ノリ

 救急搬送された翌日、病室に来た主治医は、肺にも小さな転移がみつかった、と説明した。肝臓だけでなく、肺にまで……。足早に病室を出て行く医師を見送りながら、妻は目に涙をいっぱいに浮かべている。「お別れがけっこう早いかも。ミツルに悲しい思いをさせてごめんね。もっと自由に仕事で飛び回れるはずだったのに」と妻は天井を見つめながらつぶやいた。
妻が入院した病院 撮影/藤井満

妻が入院した病院 撮影/藤井満(以下、同じ)

 数日後痛みがおさまって、妻は個室から大部屋に移った。病室には窓からあたたかい陽がさしこんでいる。うっすらと花の香りがした。同室の3人の患者はみなカーテンを開けっぴろげ。  妻があいさつすると、「私は肺とチチ(肺がんと乳がん)や」と年配の女性が言った。思わず妻はブッと噴き出す。妻に紙おむつが配られると、その女性は「私は使わんかったわ。天ぷら油でも吸わせたらええねん」。すかさず妻と同年配の人が「私、そんなんでよぉ食べん。お父ちゃんにだったら黙って出すけど」と切り返した。みんな、ベッドでのけぞるようにしてガハガハ笑った。  年配の女性が「アイロンやボタン付けをしようと思ったのに、救急車で運ばれちゃった。私が先に死んだら、お父ちゃんパンツ買いに行けるんやろか。サイズMのパンツ買おうとして『ちゃう、あんたはLや』とか天国で思うんやろな」と言うと、「娘に下着とか買っておいてあげなきゃ」と、中学生の娘がいる別の女性が答える。  妻はすかさず「去年の冬のユニクロのズボン、けちって買わなかったのを後悔してる。来年すり切れたのをはくことになるんちゃうかなって。あの世からポチッとできたらいいんやけど」と僕のズボンを話題にした。  みな深刻な病気で、たぶんひとりのときは泣いているのだろうけど、大部屋では修学旅行の女子高生のように明るい。
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つらい病気も笑いに変える“大阪のおばちゃん力”
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