その日の夜、見舞いにきた僕に妻は、大部屋でのことを話してくれた。「この部屋に入って、みんなとニコニコあいさつして、ほっとして涙があふれてきちゃった。ここでは死生観とかの本は読みたくなくなったわ」。つらい病気でさえも笑いに変えてしまう大阪のおばちゃん力に接して、妻は久しぶりにやわらかい笑顔を取り戻した。
それから夕飯の話題になり、妻の料理特訓の成果を見せようと、僕が「キャベツとじゃがいもがあるからポトフでもつくるわ」と言うと、「いつも同じやな。鶏肉の肉じゃがでもつくってみ」と妻はレシピを書いてくれた。
帰宅後「キャベツと鶏肉の肉じゃが」(記事末でレシピを紹介)をつくった。味つけは塩コショウだけなのに、焦げ目をつけた鶏肉は香ばしくてじゃがいもはホクホク。ビールにぴったりの一品になった。
同じがん患者のおばちゃんたちとの出会いで、妻はかわった。つらい日々のなかにも、笑いと幸せを見出すきっかけになったような気がする。妻は以前にも増して生活を大切にするようになった。

妻が遺したイラスト

あるとき、「毎日を大事に生きようね」と僕が言うと、妻は「毎日を大事にとか意識すると死の準備をしているようでいやや」「それより生きるための細々したことをしたい。肌触りのよい下着を買ったり、かわいいものをそろえたりしたい。そういうことで気が紛れるのが女の強さや」と言った。
そして「目標を持つとか、後悔ないように……というのもわかるけど、友達が思ってくれて、好きな人と好きなものを食べられたら私は後悔しない」と断言した。
その言葉は、僕には目からウロコだった。仮に僕が余命を告げられたら、最後の目標を設けようとするだろう。でも妻は、日常のままでよいと言う。病理学の専門家である樋野興夫さんが書いた『
がん哲学外来へようこそ』(新潮新書)に「明日死ぬとしても、今日花に水をやる、という希望の心」という一節があった。
妻は、日ごろから衣食住に細やかに気をくばってきた。その蓄積があるから、絶望に流されず、病床でも「料理をつくりたい。つくってあげたい」と言いつづけた。日々を丁寧に生きてきた経験の積み重ねが、妻のなかに「希望の心」を育んだのだ。
2018年9月30日、妻は自宅マンションで息を引き取った。静かな最期だった。
今振り返ると、死が間近に迫る日々であっても、2人で深い幸せを感じる瞬間がちりばめられていた。それを可能にしたのが、生活の細部を大切にする妻の生き方だった。
丁寧な生活には料理技術が欠かせない。妻が鬼コーチになってまでレシピを叩きこんでくれたのは、自分の死後も長生きしてほしいという強い願いのあらわれだった。妻が遺したレシピは、たった1年間で150を越えた。それが今の僕をささえている。