News
Human

「さて、死のう」コロナうつで、発達障害の私がやってしまった夜のこと

バイト先のトイレから心療内科に電話

就活 私は嘘をついたり自分を実物以上に良く見せかけることが苦手だ。だから就活は苦行だった。最初に受けた企業はあっという間に最終選考まで進んだ。なんだ、就活って意外とちょろいじゃないか。そう思った矢先、最終選考で落とされた。  自信満々だったのでショックは大きく、しばらく立ち直れなかった。その直後にリーマンショックがやって来て、どの企業も書類審査で落とされ面接にすらたどり着けない日々が始まった。  就活は心を削られる。なんたって、お祈りメール(編集部注:不採用通知)を開く瞬間に「自分はこの世から必要とされていない」と思い知らされてしまうのだから。私はどの企業からも必要とされていない。そう思うと涙が溢れてきて、食欲が一気に失せて常に微熱が出ていた。お菓子と発泡酒だけは口にすることができたので、毎日「たべっ子どうぶつ」というクッキー1箱を一日の食事にしていたら1カ月で10kg痩せて、就活用のスーツはガバガバになった。今思うとこれは第一次摂食障害だった(10年後に第二次摂食障害を起こす)。  現実逃避して就活を中断したが、何もしていないことに焦燥感がつのり、涙が溢れてくる。バイト先の出版社のトイレから心療内科に電話して初診の予約を入れた。  心療内科では抑うつ状態だと診断された。しかし今となっては根幹には発達障害があり、その二次障害の抑うつ状態だったと思われる。当時はまだ発達障害について認知が進んでいなかったため、私はこのときちょっとした誤診をされたことになる。  調剤薬局で安定剤と抗うつ薬、睡眠導入剤を処方された私は「メンヘラ」の太鼓判を押され、晴れてメンヘラデビューした。しかし、薬を飲んでも効いているのかどうかよく分からない。ガリガリの身体で毎日「たべっ子どうぶつ」を食べ、発泡酒で精神薬を流し込んでいた。

心の病の医療費助成に、親は大反対した

 当時は学生だったので親の扶養の保険証を使って通院していた。ということは、医療費と通院歴の通知書が親のもとへ届く。2週間に一度心療内科に通っていたので、医療費はかなりの額になっていた。その通知書を見た父は「桂は病気なんかじゃない」と私の生きづらさを否定した。  精神疾患の医療費は自立支援医療制度を受ければかなり負担が減る。主治医に診断書を書いてもらい、役所に提出するだけという非常に簡単な手続きで済む。私も当時の主治医に勧められて自立支援医療制度を受けようと、5000円ほど出して診断書を書いてもらった。  自立支援医療制度を受ければ安くなることを母に知らせると、「そんな制度を受けると選挙権がなくなったり人権がなくなったり、生きていく上で不利になる」と大反対された。もちろんそんなことは一切ない。  ところが当時の私は親の言うことは絶対だったので、自立支援医療制度を受けることができなかった。それを主治医に話すと「そんな人権が剥奪されるようなこと、あるわけがない」と鼻で笑われた。  私はこのときもまだ親に言われるがままにしか動けなかったのだ。ちなみに現在は発達障害と双極性障害、摂食障害の治療に自立支援医療制度を利用させていただいている。医療費も薬代もがくんと負担が減ってありがたい限りである。当たり前だが選挙権だってある。  この自立支援医療制度について知らない精神疾患の方は意外と多いので、もっと認知されてほしい。申請して不利になることなんて一つもないのだから。
次のページ 
コロナ禍で襲われた“うつの波”
1
2
3
4
5
Cxense Recommend widget
あなたにおすすめ