「さて、死のう」コロナうつで、発達障害の私がやってしまった夜のこと
ここ数年、“大人の発達障害”という言葉がよく聞かれるようになってきました。著名人によるカミングアウトなど、当事者による発信もその一因といえるでしょう。
『発達障害グレーゾーン』の大ヒットで知られるライター・姫野桂さんが、自身のさまざまな“生きづらさ”をつづった初エッセイ『生きづらさにまみれて』を刊行しました。本書では、30歳で発覚した発達障害や、コロナの影響でアルコール依存症になったこと、仕事関係者から“都合のいい女”にされてしまった体験などが赤裸々につづられています。
今回は、そんな姫野さんが精神障害者保健福祉手帳を取得するにいたった経緯をつづった章を紹介します(以下、『生きづらさにまみれて』より抜粋、再編集)。
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30歳の頃、自分が発達障害であることが判明した。私は発達障害でずっと生きづらい思いをしていたのだ。それまでの私の生きづらさに名前がついたようでホッとした反面、数日間は「障害」という言葉がショックだった。
しかし今は「自分はこういう性質なのだ」と受け入れ、「だからこそ過集中で原稿が書けるのだ」とポジティブに捉えている。
発達障害とは簡単に言うと、得意なことと苦手なことの差が大きい特徴を持つ障害だ。主に不注意や衝動的な言動の多いADHD(注意欠陥多動性障害)、コミュニケーションに難があったり独特なこだわりやルーティンを好むASD(自閉スペクトラム症)、知能に問題がないにもかかわらず読み書きや計算が難しいLD(学習障害)の三つがある。
その中で私は算数LDと不注意傾向のADHDが顕著に表れていた。そのため私には事務職は厳しかったが、取材をして原稿を書く、言語理解能力は優れていた。発達障害の特性を持つ人は一見ポンコツに見えても、適材適所に配置すると驚くほど能力を発揮する場合がある。それは接客業であったりシステムエンジニアであったり人それぞれだ。それが私の場合ライターという仕事だったのだ。
しかし、事務的な経理作業は相変わらず苦手なため、経理関連は税理士さんにお任せしている。私がフリーライターになったのはある意味必然で、それしか働く方法がなかったのだ。
発達障害でつらいのは二次障害だ。元々は二次障害の不眠で病院へ行き、ついでに発達障害の検査をしてもらったら見事にクロだったのだ。今の私には双極性障害II型と摂食障害がある。
双極性障害はその昔、躁うつ病と呼ばれており、うつ状態と躁状態を繰り返す病気だ。双極性障害にはI型とII型があり、I型の方がうつ状態と躁状態の差が激しく「ジェットコースターのようだ」と例える人もいる。
一方II型のほうは差が少ないので一見うつ病と間違えられがちだ。しかし、躁状態のテンションのときにあれやこれやアイデアを思いついてなんでもやり過ぎてしまったり、後先考えずにお金を使ってしまうので、後から疲れがどっと来たり、借金を作ってしまったりする人もいる。
だから、調子が良いときほどエネルギーを使い過ぎないようにと主治医に言われている。逆にうつ状態のときは、昼過ぎまで布団から出られないことがあったり10時間以上眠ってしまうこともある。
ちょっとしたきっかけで「もう自分はダメだ」と希死念慮に襲われることもある。これはもう、薬で調整するしかない。




