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「さて、死のう」コロナうつで、発達障害の私がやってしまった夜のこと

コロナ禍で襲われた“うつの波”

悩む女性 2年ほど前に自立支援制度を申請した際、主治医に報告すると「そのとき精神障害者保健福祉手帳のことは役所の人から言われませんでしたか?」と聞かれた。確かに聞かれたが、そのときの私は私程度の生きづらさで手帳なんぞ必要ないだろうと思い、手帳の申請を断ったのであった。そう、たしかに当時は何も困っていなかった。  ところが2020年の秋、私はうつの波に飲まれることになる。コロナ禍で人になかなか会えない、仕事が急に暇になって収入が著しく落ちた、タクトさんにも会えない。外出自粛のせいもあり、ベッドとパソコンデスクの間を行き来することが多くなった。私の精神状態は最悪だったが、友人の漫画家・渡辺河童さんとSkypeで長話をして気を紛らわせることが増えていた。  その日も河童さんと、作家の深志美由紀さんと3人でSkypeで長話をした。会話終了後、処方通りの量の薬を飲んでから、大量の発泡酒とチューハイを飲んだ。意識が朦朧としてきた私は自然と「さて、死のう」と思い立ち、クローゼットを開けて安物のベルトを1本取り出した。  タクトさんに「お付き合いしてもらえないなら今から死にます」とLINEを送った。「申し訳ありません。お付き合いはできません。でも生きてください」と返信が来たが、私はタクトさんに会えないと生きている意味がない。そして踏み台を持ってきてその上に乗り、寝室のドアのドアクローザーにベルトをかけ、首を吊った。ここから先の記憶はぷつりと途切れている。苦しいとも思わなかった。  どのくらいの時間が流れたのだろう。気づいたら寝室の床のど真ん中に仰向けで倒れていた。失禁していてお尻が冷たかった。頭や身体をあちこちぶつけたようで全身が痛い。特に痛い頭の部分を触ると血が出ていた。ドアの側にはちぎれたベルトが落ちている。身体は痛いしお尻は冷たい。とりあえず失禁で濡れた床を拭き、濡れたパジャマを脱いでシャワーを浴び、新しいパジャマに着替えてベッドに潜り込んだ。

その後、周囲の人との関わり

 翌日、河童さんに自殺未遂をしたことを報告したら「なんで僕と話した後に」と少し怒っていた。実は河童さんも重度のうつ病が原因で何度か自殺未遂をしている(『実録コミックうつでも介護士崖っぷち人生、どん底からやり直してます。』(合同出版)にそのときのことが描かれている)。言ってみれば自殺未遂の先輩だ。本当は主治医のところに行きたかったが、ちょうど土曜日で休診だった。  すると河童さんは「うちにおいで」と言ってくれた。床にぶつけた頭と身体が痛いので、本当は家でじっとしていたかったが、こういうときは人に会ったほうがいいと判断し、お昼前に1時間ほどかけて河童さんの家に遊びに行った。  河童さんは最寄り駅まで車で迎えに来てくれた。途中でコンビニに寄ってサンドイッチを買った。河童さんの家は様々なアニメや漫画のオタクグッズで溢れていて、愛猫のきゅうりちゃんも出迎えてくれた。いろんなフィギュアに囲まれた部屋でサンドイッチを食べながら、河童さんとポツポツと世間話をした。早めに主治医のところに行くよう言われたが、運の悪いことにその日から土、日、月と通院している心療内科が3日連続で休診だった。  しばし河童さんの部屋で過ごした後、また1時間ほどかけて自宅に戻った。前日、首を吊る寸前まで話していた深志さんからも心配のLINEが入っていた。元薬物依存症患者で今は薬物依存症の啓蒙活動や保護司の仕事をしており、精神障害にも詳しい風間暁さんも「できるだけ早く会って話したほうがいい」と言ってくれて、新宿の喫茶店で話を聞いてくれた。  風間さんは虐待サバイバーで元ヤンでもある。だからなのか、生きづらい思いをしている人の話の傾聴がとても上手かった。そして、タクトさんを失ってしまった私に「私、昔バンドやっていて仲の良いバンド界隈の男いっぱいいるから、今度誰か紹介するよ」とも言ってくれた。
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“自然と死を選んでしまう自分”に気づく
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