小林さんが友達と学校から帰ってくると、家の前の道で早くも母親の「助けてー」と叫ぶ声が聞こえる。急いで家に入り、仲裁する。そして隣近所に、「うるさくてすみませんでした」と謝りに行く。そんな毎日が続いた。
「いちいち自分の感情をもっていたら、やっていけない。だから
自分の感情は一時脇に置いて、とりあえずこの問題を解決する。そういう思考のクセがつきました。そうしないと、生きていけなかったので」
名実ともに、12歳の少年が一家を回していた。
「連れ子の娘さんのダウン症は僕の弟より深刻で、家に誰もいないと、とにかく暴れる。冷蔵庫の中のものを、ぐちゃぐちゃに食べ荒らしちゃうんです。だから学校から帰ったら、まず家の中を片付けるのが日課でした」
母親の再婚相手は、小林さんに暴力をふるった。
「継父はクリスチャンでしたが、
夕食時、両手を組んで『主(しゅ)に感謝します、アーメン』と言ってるそばから、その右手で僕を殴るんです。なぜ殴られるのか、わけがわかりませんでした。社会っておかしなことが起こるんだな、と……」

Z県にやってきて間もなく1年という頃。いよいよ両親の喧嘩が苛烈を極める。ある日曜の朝、継父が教会に行っている間に、母親は小林さんを叩き起こす。
「目の血走った母が、ダンボール箱に好きなものを詰めろと言うんです。わけもわからず詰めて持っていったら、
これを実家に送る、もうこの家には戻らないからね、と。夜逃げならぬ、昼逃げです」
しかし小林さんは抵抗する。学校でせっかく友達もできたし、まだ1年生の途中。せめて終業式まではいさせてくれと懇願すると、母親はしぶしぶ承諾した。
「ただ、母はヒステリー状態になっていて、継父に見つかる可能性のある最寄り駅には近づきたくないと言って聞きません。そこで、電車で数駅離れた駅の周辺にあるいくつかの安宿を、終業式までの2か月くらい点々としました。1間で、3畳か4畳みたいなところです。中学までものすごく遠くなってしまったので、毎朝、始発電車とバスを乗り継いで、部活の朝練に行っていました」
小林さん曰く、当時の母親は明らかに何らかの精神疾患を抱えていたが、通院はしていなかった。いずれにしろ、中1の子供にはどうすることもできない。