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「バケモン」と呼ばれるのが怖かった幼少期を想起…カンヌ受賞作にLGBTQ当事者から賛否の声

自分を当事者と認められるようになったのは、30歳を過ぎてからだ。

曖昧なままにしておく

『怪物』に性表現はなく、LGBT関連の専門的な単語も出てこない。明確に表す要素は一切ない。観客は、シーンの積み重ねのなか、少しずつ「クィア・パルム賞」の受賞理由に気づいていく。 佐倉イオリ「怪物」レビューそんなさりげない演出のなかにも、明確に「君は間違っていない」という当事者へのメッセージが力強く散りばめられていた。それは、性の目覚めのなかで、アイデンティティを確立しようとあがく若者たちを、柔らかく後ろざさえしているように思えた。 私もそうであったように、周りに理解者が少なければ少ないほど、自分を少数者と認めるのは簡単ではない。 ゲイやトランスジェンダーといった、アイデンティティを表す言葉はすでに一定数ある。しかし自分は何者なのだろうかと自問自答している思春期の子どもにとって、ときにそれは強すぎる言葉になるかもしれない。 子どもでなくとも、既存の言葉にしっくりこない人もいれば、受け入れるのに時間がかかる人もいる。 『怪物』では、彼らのアイデンティティを決めつけず、曖昧(あいまい)なままにしておく。私には、その曖昧さがやさしく感じられた。

「自分」を表現するむずかしさ

かく言う私は、自分で自分を明確に「トランスジェンダー」と表現したことがない。 カタカナで自分を表現しろと言われれば、男性でも女性でもない「ノンバイナリー」や、自分のアイデンティティがわからない・明言したくない「クエスチョニング」を名乗ってきた。 佐倉イオリ「怪物」レビュー人から「トランスジェンダーの佐倉さん」と断言されると、なんだかギョッとしてしまう。 トランスジェンダー男性というと、女性が好きで、女性と結婚できる人たちを指す気がして、男性しか好きになれない自分とは別物に思える。 うまく名乗ることができない私だから、曖昧さを残す本作にある種の居心地のよさを感じるのかもしれない。
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