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結婚後に性別違和を妻に伝えたトランスジェンダーの苦悩。義母に「気持ち悪い」と言われ、家庭では夫・父、職場では女性装

――ご家族は、松林さんをどうご覧になっているのでしょうか。 松林:子どもや近所の人には、性自認も女性装のことも隠しています。妻からは「最寄り駅周辺など自分(妻)や子どもにかかわるところで、女性装をするのはやめてね」と言われています。足かせやマイナスと感じることはありますが、妻と何度も話し合ってのことなので、納得しています。 実は自分のアイデンティティについて考えられるようになったのは、30代を過ぎてうつ病になってからでした。それまでは妻や子どもが大病に罹(かか)っていて、私は育児や看病に追われてまったく余裕がありませんでした。

日々を過ごすだけで精いっぱい

佐倉イオリ202310――パートナーさんとお子さんが大病ですか? 松林:いまから9年くらい前でしょうか。一番下の子が2歳くらいのとき、妻が統合失調症を発症して入院したんです。義理の母が手伝いにきてくれましたが、仕事も家のこともすべて私ひとりでこなさなくてはなりません。妻の容態が安定し家で過ごせるようになったころ、私はリストカットや拒食が止まらなくなってしまい、病院にいくと、うつ病だと言われました。 しかも追い打ちをかけるように、今度は長男に若年性のガンが見つかりました。ありがたいことに1年ほどで完治しましたが、本調子でない妻と交代で長男が入院する病院を行き来しながら、下の子2人の子育てに明け暮れた日々は、本当に大変でした。抗うつ剤を飲みながら、休職する余裕もなく、日々をなんとかやりすごしていました。

はじめて性別違和を示唆されて

――それは、アイデンティティを顧(かえり)みる余裕なんてとてもありませんね。 佐倉イオリ202310松林:当時、お世話になっていたカウンセラーが、性別違和を示唆してくれました。治療の一環として、趣味で書いた詩や小説を見せたのですが、作品のなかで私は常に女性視点なんです。だからカウンセラーは気づいたんだと思います。それをきっかけにジェンダークリニックを受診するようになりました。 妻にカミングアウトしたのもちょうどそのころで、最初は「あなたが女の子っぽいところがあるのは知っていたよ」といってくれました。私は少しでも心穏やかに過ごせるようにと、ヘアピンやネイルなどの小物を少しずつ買いそろえました。最初は隠すことはしなかったんです。 しかし、それら小物が義母の目に止まったみたいで、妻経由で何度か「家族や子ども、ご近所の前ではやめて」と釘をさされました。
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病室でスカートを履き、ネイルを塗った
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