結婚後に性別違和を妻に伝えたトランスジェンダーの苦悩。義母に「気持ち悪い」と言われ、家庭では夫・父、職場では女性装
――育児、介護、仕事、そしてアイデンティティの問題……いろんなことが一気に押し寄せたんですね。
松林:はい、常にイライラして、家族にも声を荒げるようになっていました。頭ではダメだとわかっていても、自分を制御できなくて。
それにリストカットもやめられず、塾でも最初は隠していたんですが、そのうち隠すこと自体どうでもよくなってしまい、傷が治りきらずに黒ずんだ手首のまま教壇に立っていました。心配した生徒からほかの先生に相談があるほどでした。妻から「入院してくれない?」といってもらえたことで、やっと休職を決断できました。
――パートナーさんもきっと松林さんを見ていられなかったんでしょうね。
松林:入院してようやく自分の時間ができて、それは何よりホッとしました。そして病室では、常に女性の姿で過ごしました。開放病棟で事前申請すれば外出も自由にできたので、はじめてスカートを買うことができたんですね。
女性もののトップスとスカートを着て、ていねいにヒゲを剃って、ネイルをきれいに塗って……。うつ病になってからはじめて「楽しい」という感覚を得ることができました。
――女性装で、そんなにも心が救われるんですね。私は、メンズの服も10代のころ着ていますが、そんなにふうに心が満たされた記憶はありません。出生時に割り振られた性別が男性か女性かで、違いがあるのかもしれません。
松林:そうかもしれませんね。でも、退院の時期が近づいてくると、その「女性装」が問題になりました。妻が面会にきて私の姿を見ては落ち込んで不安定になる、ということを何度もくり返していたんです。安定したとはいえ、妻も持病がありますからね。
退院に向けて私と家族、病院の三者で話し合う場で、同席していた義母から「正直気持ち悪いし、娘(妻)と子どもを一緒にいさせるのはどうかな」と面と向かっていわれました。
いったん入院期間が伸びたものの、それから1~2週間ほどで退院。病院の先生から話してくれたのか、義母からは謝罪の言葉もいただきました。近所や子どもの前では女性装はしない、ということで家に戻りました。
――仕事上だけは本来の自分に近い形で生きる。松林さんにとって、そこがギリギリのラインだったんですね。
松林:入院中、女性装で過ごせたことで、自分の生きる道に光明が差したように思えました。性別や服装を移行しよう、ジェンダーのことをオープンにして、自分として生きていってもいいんじゃないか、と。女性装で働くようになったのも、入院明けからです。
――パートナーさんもきっと松林さんを見ていられなかったんでしょうね。
松林:入院してようやく自分の時間ができて、それは何よりホッとしました。そして病室では、常に女性の姿で過ごしました。開放病棟で事前申請すれば外出も自由にできたので、はじめてスカートを買うことができたんですね。
女性もののトップスとスカートを着て、ていねいにヒゲを剃って、ネイルをきれいに塗って……。うつ病になってからはじめて「楽しい」という感覚を得ることができました。
義母ははっきり「気持ち悪い」
生きるためのギリギリのライン
――仕事上だけは本来の自分に近い形で生きる。松林さんにとって、そこがギリギリのラインだったんですね。
松林:入院中、女性装で過ごせたことで、自分の生きる道に光明が差したように思えました。性別や服装を移行しよう、ジェンダーのことをオープンにして、自分として生きていってもいいんじゃないか、と。女性装で働くようになったのも、入院明けからです。


