「なぜ母は0歳の私を捨てたのか」25歳女性がたどり着いた“実母の衝撃の過去”。育ての母からは虐待も<前編>
厚生労働省の調査では、生後1年を満たない赤子が、年間2500人近く乳児院に預けられる。
背景には、経済的困窮や孤立出産など、親が育てられない事情があり、その受け皿の一つとして「赤ちゃんポスト」や「内密出産」の仕組みが求められている。2025年6月には大阪府泉佐野市の市議会で、導入に向けた調査費800万円を含む予算案が可決され、全国初の行政主導の取り組みとして注目を集めた。
ただ、気になるのは、実親の存在を知らないまま育った当事者のその後だ。出自やアイデンティティが曖昧なまま育った当事者は、両親に対して、また自身の半生に対して、どのような感情を抱くのだろうか。
「いかなる事情があろうと、私を捨てた両親を許せない」
「それでも実親がどのような人生を歩んできたのか知りたい」
「なぜ両親が私を捨てたのか、直接会って理由を聞きたい」
0歳で両親と生き別れたまるさん(仮名・25歳・女性)は、悶え苦しむような想いを抱えながら、実親を探し続けてきた。そして2024年、念願叶って実母と対面を果たしたが、「もう金輪際会うことはないかと思います」と語る。まるさんは実親と対面して何を感じたのか。そして実母はなぜ我が子を捨てたのか――。
まるさんは、生後数日で乳児院に預けられ、物心がついてから両親と対面した記憶がない。幼少期から児童養護施設で過ごし、5歳の時に特別養子縁組を組まれ養子として育つ。
「私には本当に両親が存在するのだろうか――。幼い頃そう思っていた私が、実親の存在を意識するようになったのは12歳頃のことでした。当時、一緒に生活していた養母は機嫌が悪いとすぐに私に手をあげたり、罵声を浴びせたりしてくるような人でした。
『施設に帰るか?』『お前を引き取ったのは老後の介護をさせるため』といった暴言を吐かれ、その一環として実母の悪口をぶつけてくるんです。記憶では『お前の産みの親は水商売や風俗をしていた』といったことを言われた気がします。
養母としてはストレスの捌け口だったのでしょうが、思春期を迎えつつあった私は、繰り返し実親の存在を意識させられたことで、実父母に会いたい想いを抑えきれなくなっていきます。『なぜ私を捨てたのか?』『今どんな生活をしているのか?』『私を捨てて幸せだったのか?』……。私の中での疑問を、一つ一つ確かめたくなりました」(以下、まるさん)
まるさんは養父母から、実母が夜の仕事をしていると聞いていたものの、名前や見た目など、具体的な情報は何ひとつ知らなかった。施設に預けられていた幼少期、実母は数回面会に訪れたそうだが、まるさんは物心着く前であったため、母の面影すら記憶になかった。
加えて、学校の同級生と過ごす中で、自身には実親がいないと思い知る機会も多々あった。クラスメイトが、親と買い物に出かけたり、親と進路の相談をしたりする話題に触れるたび、まるさんは実親の不在を痛感し、そのぶん実親に会いたい気持ちが強くなっていく。
高校を卒業後、養父母から独り立ちをし、まるさんは介護士となる。その傍ら、空き時間を縫って、“実親探し”を始めた。
「当時は、出自を知りたいのと同時に、はやく死にたいという希死念慮を強く持っていました。実親に捨てられて施設に入り、養母からも嫌がらせを受けてきた境遇を思うと、常に『自分は誰からも望まれずに生きてきた』という想いを抱えていました。それなら20歳までに実親と対面して、その後にはやく命を絶ったほうがラクだなと。
高校を卒業する頃には、同年代は反抗期を過ぎて、両親と仲良い素振りを見せる友人も増えていきました。ただ一方で、自分には支えになる大人もいない。それなら自分が死んでも誰も悲しまないはずだと考えていました」




