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「自殺未遂」「妊娠5か月で中絶希望」…なぜ彼らは“限界”まで耐えてしまうのか?子ども時代に支援を受けていても

スパルタ教育のストレスで「万引き」を繰り返した過去

小学生

※イメージです

 そこまでして支援に尽力する背景には、高橋さんの幼少期の体験が関係していた。 「小学校3年から6年生にかけて、父から強制的に卓球をやらされていた時期がありました。父が卓球の選手を目指していた過去があったようで、私自身は興味がなかったのですが、親のエゴのような形で練習をさせられていました。 ただ次第に、父の指導が厳しくなり、スパルタになっていきました。普段父は優しいのですが、卓球になると私を正座させて怒鳴りつけたり、練習しないと手が出たりと、様子が一変するんです。 そうしたスパルタが続くうちに、抑圧されたストレスのはけ口として、万引きを繰り返してしまうようになるんですね。小学生だった当時は、単に物欲が強い人間なのだろうと思っていたのですが、いま思えば父の熱血教育のレスパイト(息抜き)になっていたわけです(※通説として、万引きする一瞬のスリルや高揚感が、日常のストレスや不安を一時的に忘れさせてくれるため、依存のように万引きを繰り返してしまうとされている)」  高橋さん自身も、虐待に近い経験をしたことで、話を聞いてくれる大人に出会えれば良かったと語る。頭ごなしに万引きを否定するのではなく、問題行動に至ってしまう背景や、抱えているしんどさを探ってくれる人がいたら、もっと早くつらい気持ちが解けたんじゃないか――。そうした想いが、いまの活動の萌芽となる。 「父から暴行を受けていた頃は、周りにも恥ずかしくて言えなかったので、余計に一人で抱え込んでいました。幸いウチの場合は、私が何回か捕まると、さすがに親も危機感を覚えて卓球を強制しなくなり、徐々に万引きも収まっていきました。 ただ、抑圧され続けている子どもがたくさんいるのも事実です。虐げられている期間が長いほど自分を押し殺して、SOSを発信しづらくなってしまうので、どこかつらい気持ちをぽろっとこぼせる土壌を作れたらと考えていました」

自立援助ホームで働き感じた“やるせなさ”

 高校を卒業後、高橋さんは大学で児童福祉を学ぶようになる。当初は、少年犯罪の背景に関心を持つなか、在学中の実習で自立援助ホームに行く機会があった。  自立援助ホームとは、虐待や貧困で自立できない15歳から20歳前後の青少年に、安全な住環境を提供し、就労や生活スキル、人間関係の構築などを支援する施設だ。  そこで壮絶な家庭環境で育った子どもたちと出会い、自立援助ホームで働くことを決めた。 「自立援助ホームで出会った少年たちは、大人や社会に不信感を抱いている人が大半で、『くそばばあ』呼ばわりされるのが当たり前でした。『こんなところ来たくないけどここでしか暮らせない』『売春するよりはここにいるほうがマシ』という状況下にいる子どもたちと出会って衝撃を受けたんです。 大学卒業後は、覚悟が固まってなかったこともあり、海外でバックパッカーをしていた時期もあったのですが、やはり彼らのことが忘れられなかった。そこで29歳の時に自立援助ホームで働く決意をしました」  自立援助ホームで子どもと接するのは、大きなやりがいだった。初めは“くそばばあ”呼ばわりだった青少年が、次第に“亜美さん”と呼んでくれるようになり、少しずつ穏やかな表情になっていく。『初めて信頼できる大人に出会った』と心を開き、就職や一人暮らしをして、自立していく過程を見届けることに喜びを感じていた。  ただ一方で、自立援助ホームを退所後、生活に行き詰まってしまう人が一定数いるのも事実だった。前述したように、些細な仕事上のトラブルで躓いてはホームレス状態で連絡してきたり、経済的な事情から性産業に従事して妊娠したりと、疲弊した状態で戻ってくる当事者がいることにやるせなさを感じていた。 「なかには警察や病院から『刑務所に入っている』『入所していた少年が自死してしまった』と連絡が入ることも多々ありました」
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社会に出た後の「拠り所」を作ることに
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