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ネットで「死にたい」と訴える人に、死にそこねた私が言えること

 こんにちは、yuzuka(ユズカ)です。私が学んだ世の中の「本音と建前」をベースに、悩めるフォロワーさんのお悩み相談にお答えするこの連載。第30回です。  今回は恋愛相談とは離れ、こんな話題に向き合いたいと思います。デリケートな問題だからこそ、今、触れなければならない、触れたいと思ったのです。

Q. どうしようもなく死にたいです

自殺志願者

写真はイメージです

城野 さん(仮名)22歳 「助けてください。死にたいです。何もかもが嫌になり、人生を投げ出したいです。死ねないと分かっているのに、手首を切りました。なぜyuzukaさんに連絡したのかも分かりません。でも、ほかに誰も思いつかなかったんです」

私も自殺未遂をしたことがあります

yuzukaさんの回答  私は自分のツイッターアカウントのダイレクトメッセージを「相談受付中」という名目で開放しています。誰もがどんなメッセージでも送ってこられる状態の、そのメールボックスに「死にたい」という連絡が届くのは、実は珍しいことではありません。  私は精神科で看護師をした経験があるとはいえ、医師ではないので専門的なことは言えません。ただ、私自身、自殺未遂をしたことがあり、それでも生き続けることができた一個人の意見として聞いてください。  おおよそ人の気持ちというものは、決まった段階を踏んでから、ピークに達したり、打ち消されたりします。恋をするにも、失恋にも、怒りにも段階があり、それは「死にたい」と思うことにも共通します。  ある日、ふとぼんやりとした「死にたい」という気持ちが沸き起こることを「希死念慮」と言います。 “自殺大国”とも呼ばれるこの日本で、死にたいという感情は予想以上に身近に潜んでいます。でも、その感情がどんどんと膨らみ、何か具体的な行動を起こしてしまうと、問題です。例えば首吊りの方法をネットで検索したり、自殺の計画を妄想したりする、こうなってしまうことを「自殺企図」と呼びます。  つまり、人それぞれに死にたいの「重さ」があって、危険度も違うのです。自分が死にたいときも、誰かが死にたいときも、私たちは常にその「死にたい」がどの段階なのか、ちゃんと向き合って、判断する必要があるのです。

死にたいなら死んでもいい、でも1日待って

 では、そんな「死にたい」に、私がどうメッセージを返しているのかを答えようと思います。 「死にたいなら、死んでいいよ。ただし、今までにないくらいにしっかりと考えて、自分のためだけに死になさい」です。  私たちは勝手に生まれさせられました。自分の希望でこの世に生を受けた人って、誰一人としていないのです。巷では「せっかく産んでもらったんだから」なんて言葉が溢れているけれど、そうじゃない。私たちは勝手に「産み落とされた」。そしてしょうがなく、生きてやっている。 赤ちゃん 家庭環境も容姿も何もかも選ぶことすらできず、勝手に生みおとしたくせに、それでいて生きることを強要される。 「命は大事だから、生きられない人もいるから、死んだら誰かが悲しむから」。「だから生きろ。死ぬなんて自分勝手だ。考えを改めろ」。  ハッキリ言います。こんな言葉、無視したってかまわない。  あなたが「死にたい」と思うことは、悪いことじゃない。生きることなんて、他人に強要されることじゃない。弱いとも思わない。だって人生は不公平で、理不尽だから。  悲しいけれど、生きていたら必ずハッピーエンドが訪れるなんてことはない。生きたほうが苦しく、死んだ方がうんと楽になれる――そんな人だって、いるのかもしれない。  だからこそ「死にたいなら死んでもいい」。私は本気でそう思うし、伝えたいです。 「死なないでほしい」という気持ちは溢れているけど、それが届かないこともよく知っている。だから、私は「死んでもいいよ」って言います。  だけど、生きることを投げ出す前に、ちゃんと向き合ってほしいことがあります。その「死にたい」は、「自分のためだけに生きる」って考えても、打ち消すことのできない「死にたい」なのだろうか? ということです。  死んだらリセットできません。誰かの受け売りみたいですが、死んでしまったら「やっぱり生きる」と2度と言えません。「今日、死にたい」と思っているあなたに1日だけ待って、考えて欲しいんです
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