ここで少し私の話をさせてください。
私はいつも死にたくて、その「死にたい」に忠実になって自殺未遂をしたことがあります。きっと今、死にたいあなたも、同じことを思ったかもしれませんが、「死ぬ怖さ」に「生きる怖さ」が勝ってしまった瞬間がありました。
このまま生きていくのと、首を吊って10分苦しいのを我慢するのと……。天秤にかけた結果、「死んだ方が楽だ」という結論に至ったのです。

遺書を書き、オムツを履き、首を吊る予定のドアノブの前にはゴミ袋を敷きました。警察に通報してくださいと紙に書いて、顔にはニット帽をかぶって、その上から目隠しもしました。あれ、もし発見する人がいたら、きっとトラウマでしたね。
首を吊ろうとしても手が震えて、なかなか行動に移せず泣いていたとき、たまたま同居人が帰宅して、私は事なきを得ました。
だけど、あのときの「死にたい」は確かなもので、後日「生きていてよかったね」って言われても、どこか違和感がありました。「私は死にたいのに、どうして死なせてくれないんだろう」と。
どうして生きることだけが正義で、死ぬことは悪なんだろうと、ずっと苦しい気持ちを抱えていました。
「許してよ。死なせてよ。どうして誰かのために、生きなくちゃいけないの?」
そんなあのときの気持ちは、今でもしっかり覚えています。
その「死にたい」は、自分のためだけに生きるって考えても、打ち消すことのできない「死にたい」なのでしょうか?
あなたは、自分勝手に生きていますか?
「死」を目の前にしているあなたには、死ぬ前に一度、
全ての責任を放棄して、自分のためだけに考える必要があると思っています。
仕事? 辞めてしまえばいい。人間関係? すべて投げ出したってかまわない。
今あなたを悩ませてる何かは、死ななければ解決しないことなのか。もしかして「自分のためだけに生きること」を選択したら、現実世界のなかで、もっと幸せになれるんじゃないかと突き詰めて突き詰めて、じっくり考えてほしいです。
他の誰でもなく、「自分だけのため」に考えてほしい。今、死ぬのが、自分にとって「ベストアンサー」なのか。
人のことなんて、もうこの際どうだって良いんです。すべてを投げ出したって、自分勝手に生きたって、生きてさえいれば、必ずどうにかなります。
だけど考えに考えてみて、それでも「自分のために」死ぬことが一番いいって笑顔で言えるのなら、私はその選択を肯定します。