この時点で、仲本さんは同棲から数えて7年近くの月日を志津さんと過ごしている。子供はおらず、作る予定もなかった。離婚という発想はなかったのか。
「
志津に自殺されるのが怖かったんです」
しかも仲本さんは結婚生活の地獄を、友人はおろか自分の両親にも一切相談しなかった。なぜか。
「志津に、
私の病気のことは絶対に他言するなと厳命されていたからです。もし僕の両親や親族に知れたら、今後二度と法事や帰省で会うことができなくなる。
狂人の嫁だと思われて、一生蔑(さげす)まれるからと言われて。
無論、自分の両親や親族はそんな風に思わないと否定しましたが、私の母親がそう言ってるんだと反論されました。志津が高校生の時に家を出た母親です。志津の結婚が決まった時に、『
あんたの病気のことは絶対に誰にも言ってはいけない。恥だから』と言われたと。自分の娘にそんなひどいことを言うだろうかと疑いましたが、この時の志津はいつものように怒るでも泣くでもなく、ただただ悲しそうでした。だから、妻の意思を尊重して誰にも漏らさなかったんです」
なんと仲本さんは現在に至るも、自分の両親に志津さんの病気のことを言っていない。離婚の理由を説明していないのだ。
「妻の病気のことを誰かに話したのは、この取材を除けば、のちに僕がかかることになる心療内科の先生だけです」
心療内科の受診。それこそが、長く苦しい結婚生活に終止符を打つきっかけだった。
「仕事で関わったあるプロジェクトがものすごいトラブルに見舞われ、僕のキャリアに大きな傷がつきました。このままこの業界にいても、たぶんもう二度といい仕事は回されない。それくらいひどい巻き込み事故に遭ったんです。ああ、僕の人生終わった。残りは消化試合だと絶望しました」
ストレスで味覚が消え、頻繁な動悸に悩まされ、常に血の気が引いてるような状態が続いた。食欲がなくなって体重が5kgほど減り、髪の生え際がどんどん後退していった。しかし驚くべきことに、志津さんはそんな仲本さんを一切いたわらなかった。
「僕の体調不良は志津も察知していたんですが、『
弱々しい姿を会社の部下に晒して憐れまれたら、みっともない』と叱られました。さすがにひどいと思い、いや、本当につらいんだと志津の前ではじめて弱音を吐いたら、拒絶されました。『
私にそんなことを言われても困る。共倒れになるからやめてほしい。5つも歳上なのに情けないと思わないの?』って」