漫画を実写化し俳優が漫画キャラに寄せて演じることはエンタメの世界でよくあることだが、俳優の演じる役に似せた漫画が本編で描かれ、俳優の演技と並行して進んでいく趣向は稀少である。
面白いのは、漫画ではイケメンな俊夫の現実の姿が漫画とは逆に次第にあたふたして滑稽(こっけい)さを露わにしていくこと。優しく包容力ある旦那様よりもむしろそっちのほうが愛らしく見えていく。

『先生、私の隣に座っていただけませんか?』より
この映画に関する取材を柄本にした時「不倫や同じ仕事で活躍する妻への夫の嫉妬を掘り下げてしまうと、この作品の持つ爽やかさが欠落してしまうので、あくまで夫はマイペースに生きていると解釈して演じました」(クロワッサン8月25日発売号より)と意図してドロドロを避けた考えを語っていた。
堀江貴大監督と相談してそういうふうにしたようだが、柄本の愛され嗅覚の良さを感じる。例えば漫画が描けなくなった夫が妻の活躍を意識するあまり浮気に走るというようなクリシェに落とし込まないほうが物語は芳醇(ほうじゅん)なものになる。

『先生、私の隣に座っていただけませんか?』
対する佐和子は最後まで底を見せない。キラキラの絵でキュンとなる恋愛シーンを描く姿がふんわり夢見る人のようで、その妄想力と作画力は強く粘っこくたくましい。実直に見えて時々、何かを企んでいるような鋭さも垣間見(かいまみ)せる。
クールさと熱さを行ったり来たりさせることで佐和子は自身にベールをかぶせているようだ。彼女の太すぎず細すぎないもちっとした二の腕がポテンシャルを物語っているように見える。
佐和子は漫画を通して俊夫を挑発し、俊夫はまんまと振り回されていく。この流れを観て筆者は谷崎潤一郎の「鍵」を思い出した。あとでプレスシートを読んだら堀江監督は「鍵」を参考にした作品のひとつに挙げていたので間違いではなかった。

「鍵 THE KEY」 TOEI COMPANY,LTD.
「鍵」は夫が妻に日記をあえて読ませ若い男と妻を知りあわせてその関係に嫉妬したりすることで愛を燃え上がらせる倒錯的な物語で映画化もされている名作で、奇しくも柄本佑の父・柄本明がこの夫を演じたこともあるものだから、柄本佑が演じる夫は令和バージョンの「鍵」といっていいのではないだろうか。
柄本佑と黒木華ほどの演技巧者かつ過去の名作に関する教養も深い俳優であれば昭和の文芸作品のような渦巻(うずま)く愛憎も巧みに演じられるのだろうけれど、ふたりは決してずしりと重量のある濡れた布のようには演じない。それがとても現代的に思えた。

『先生、私の隣に座っていただけませんか?』より
今、かつてのような不倫ものは求められない。一時期、ドラマでも不倫ものが流行っていたが最近は扱われることが少なくなった。それよりも今は、「キュン」となるシチュエーションが求められている。
その点、「先生、私の~」では夫婦が互いの貞淑を探り合う物語であっても「キュン」となるシーンや笑えるシーンが多く気楽に見られるうえ、そこから佐和子と俊夫の気持ちを勝手に深堀りしていくことも無限に可能である。夢想のはてに訪れるラストは爽快だ。
(C) 2021『先生、私の隣に座っていただけませんか?』製作委員会
【柄本佑インタビュー】⇒
柄本佑、愛らしい不倫夫役に。「しょうがねえなぁ、と思ってもらえたらと」
<文/木俣冬>
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木俣冬
フリーライター。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。『ネットと朝ドラ』『
みんなの朝ドラ』など著書多数、蜷川幸雄『身体的物語論』の企画構成など。Twitter:
@kamitonami