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「私は自分を男だとしか思えない」結婚後に告白したトランスジェンダー当事者、夫はどう思っている?

とはいえ、いまのままでは義理の両親とは住めない。まずは、息子の妻の性自認が男性だという説明が必要だろう。私は義母を納得させるためには、ホルモン治療することが不可欠と考えていた。その準備を整えるため地方にある実家に逃げ帰り、そこでリモートで受けられる仕事をほそぼそと続けた。といっても、週に1度は上京しなければならず、交通費でプラマイゼロになる。 いまのままではいけないと、就職活動をスタート。だったら東京に家が必要と考え、パートナーからお金を借りて、家探しも始めた。 当時は、とにかくお金がなかった。また、パートナーとは一緒に暮らしたかったので、住む場所がいったん決まってもすぐに引っ越す可能性がある。身動きを取りやすい環境に身を置きたくて、初期費用もランニングコストも安く済むシェアハウスに、と安直に考えた。

性別で分けられるシェアハウス

しかし、ここでも性別の問題を突きつけられた。 SakuraIori202303_01f「女性はこちらのフロアに」 「こちらは女性のトイレを」 値段が安いところは、男女別になっていることがとても多かった。安全や管理面を考慮してのことだと大いに理解できたが、性別の問題で辟易しきっていた私は、合理的だからと飲むことはできなかった。 一方で、LGBTフレンドリーなシェアハウスにもアクセス。た、高い……。コンセプトを大事にしたシェアハウスは割高なのだ。生活費を抑えたいだけの私に合う場所はそうそう見つからなかった。結局、賃貸の家に決めた。

一刻も早くホルモン治療をしたい

お金を借りていたこともあって、一刻も早く定職につきたいと焦りが募った。パートナーへの罪悪感ともうひとつ、ホルモン治療を始めたかったのも大きい。 戸籍上の性別変更をしていない場合、性同一性障害の診断が下っていても、ホルモン治療は保険適応外、つまり自費で高額になる。その費用をパートナーから借りるわけにはいかなった。先述したように、パートナーからすれば、私の男性化は手放しで受け入れられるものではない。それを知っていながら彼の収入でホルモン治療をする気にはとてもなれなかったのだ。 家探しにあった性別の壁は、職探しでも当然立ちはだかった。 【佐倉イオリ】1983年生まれ。幼稚園の頃には「女じゃない」という自覚がありがならも男性が恋愛対象だったことや「他の女の人も皆我慢しているのだろう」と考えたため、女性らしくなろうと試行錯誤。「女性らしくなりたい」「男性に見られたい」と揺らぎながら30歳で男性と結婚。30歳を過ぎてその葛藤が「普遍的な女性の悩み」ではないと気づき始めた。宣伝会議の「編集・ライター養成講座」41期生として執筆した卒業制作で、最優秀賞を獲得 twitter:@sakura_iori3 <文/佐倉イオリ>
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