「あっぱれさんま大先生」かなこちゃん、波乱万丈の今。水道止められる苦境、さんまの言葉に救い #ニュースその後
1988年から日曜日の昼にフジテレビ系で放送されていた『あっぱれさんま大先生』。“さんま大先生”こと明石家さんまと、素人同然の生徒役の子どもたちとの掛け合いが人気を博したバラエティ番組です。
――芸能界を引退したのはいつ頃なのでしょうか?
「28歳の時なので、もう13年くらい前になります。その後に結婚を機に大阪で暮らし始めました。今は離婚をしてシングルマザーなのですが、東京に戻らずそのまま大阪に住んでいます」
――デビュー曲の『約束』が第79回全国高校サッカー選手権大会のイメージソングになったり、『世界ウルルン滞在記』(MBS)に出演していたり、『あっぱれ』卒業後も長らく活躍していましたよね。
「正直『あっぱれ』が決まってからは、出世街道まっしぐらだったんですよ。小学5年生の時に事務所を移籍してからは、子役ではなくマルチタレントという方向性で進むことになりましたが、当時は『あっぱれのかなちゃん』という肩書きを使ってとってくるような仕事がほとんどでした。
成人後はたまたま知り合ったスタッフさんとの縁があって『ウルルン』や『水戸黄門』(TBS系)への出演に繋がりましたけど、結果的には活動休止状態になってしまいました」
――そこから、なぜ引退にまでに追い込まれてしまったのでしょうか。
「事務所のトラブルが原因ですね。ある時から全く事務所に連絡が取れなくなってしまい、結果的に番組の収録を飛ばしてしまう事態に発展してしまったんです。ようやく連絡がついたと思ったら事務所の内情が様変わりして知ってるスタッフさんも誰もいなくなっていて。仕事ももらえない、当然生活できない。結果、そのタイミングで結婚に逃げて引退という形になりました」
――寿引退というわけではなく?
「今考えると、あれは『逃げ』だったと思います」
――現在は離婚しているとのことですが、いつ頃シングルマザーになったのですか?
「今子どもが11歳なのですが、4歳になる前に離婚しています。そもそも、元旦那は私がお金を持っていて、自分の夢を叶えてくれると思ったから結婚したんですよ。でも私が妊娠出産して働けなくなって、夢も上手くいかなくなった頃から、元旦那はイライラが増えて怒鳴られたりするようになりました。私はそれで追い詰められて心療内科にかかるようになったんです」
――結婚後にまさかそんな過酷な状況が待っていようとは。
「ショックでしたね。私はこれまでの人生は比較的順風満帆にきていたと思っていたので。ファンに何を言われても心が痛むことなんてなかったのに、自分のパートナーにかけられた酷い言葉で、こんなにもダメージを負ってしまうのかと」
――離婚は佳奈子さんから切り出したのですか?
「私が無理だなと思ったと同時に旦那の方からも離婚を提案されました。カバン一つで子どもと家を出て行ったのですが、その時ふと『私はこのまま逃げ続ける人生になるんじゃないか』って脳裏によぎったんです」
――芸能界からも逃げ、結婚からも逃げたと。
「今思えば、事務所とのトラブルの後も芸能界にいたければ耐え忍んで頑張れたんですよ。でも、私は結婚に逃げたからこうなってしまった。逃げるってやっぱり駄目なんです。それによって私は元旦那の人生も変えてしまったんだと思います…」
――しかし苦しい時は逃げることも自分を守る一つの手段になり得るのでは?
「逃げることも大切ですけど、逃げちゃいけないときに逃げてしまった場合の反動はすさまじいものがあるんですよ。ヘタに逃げてしまうと大変なことになると学びました」
そのあっぱれメンバーの第1期生で、ズバズバ発言で人気だった“かなちゃん”こと中武佳奈子さんを覚えているでしょうか。
今年7月1日に放送された『あっぱれさんま大先生2023同窓会スペシャル』で懐かしい第一期卒業生12人が集結したなかに、中武佳奈子さんの姿もありました。
佳奈子さんは『あっぱれさんま大先生』(以下『あっぱれ』)卒業後もタレントとして活動していましたが、すでに芸能界を引退しており、長らくテレビでその姿を見ることはありませんでした。彼女にいったい何があったのか。これまで、どこでどうしていたのか。中武佳奈子さん本人に知られざる“かなちゃん”の半生を語ってもらいました。