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Mrs. GREEN APPLE、MV以上に「曲そのもの」に強烈な違和感。なぜ“間延びした歌詞”と“ぎこちないメロディ”になってしまったのか?

曲の構造でも人工的なぎこちなさが

 明らかな違いは曲の構造にもあらわれています。「ダンスホール」や「ロマンチシズム」のような曲では、単語と文章の抑揚の中にあるリズムが引き出され土台となってメロディを作っています。  対して、「コロンブス」では音節が多く、見た目にも派手な言葉が無理やり押し込められているような人工的なぎこちなさを感じるからです。難度の高い技を連発しているのだけど、それが有機的に作用し合っていないのです。話すときや歌うときにあるべき呼吸の間合いがない。  「コロンブス」は歌詞の意味において、また音楽的にも窒息(ちっそく)しているように響きます。あんなにも言葉をメロディに置き換えることをスムーズに出来ていた人が、ここまでデコボコな曲を作ってしまうとは。  MV以上に衝撃を受けました。

どちらの大森元貴が本物?

 さて、そうなるとどちらの大森元貴が本物なのでしょうか? 生まれ変わったソングライターとして、「コロンブス」を書いてしまったのでしょうか?  否。希望も込めて、筆者は「青と夏」こそが本当の大森元貴だと信じます。  それぐらい、「コロンブス」はおかしな曲なのです。 <文/石黒隆之>
石黒隆之
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4
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