「おまえは醜い」「消えろ」…母に否定され続けた私が、自己肯定感を取り戻すまで
テレビ等のコメンテーターとしても活躍する、内科医のおおたわ史絵(ふみえ)さん。今年4月に文庫化された『母を捨てるということ』(朝日文庫)は、母親との壮絶な日々をつづって大きな話題となりました。
おおたわさんの母は、鎮痛剤の常用から依存症になり、使用済み注射器が散乱しているような家庭でした。母は些細なことで激高し、投げつけられた灰皿で額から血を流したこと、煙草の火を手に押し付けられそうになったことも。薬をやめさせようとすると「お前なんか消えろ」と罵倒され、いつか母に暴力をふるってしまうのではという恐怖から関係を断ったといいます。母は76歳の時、自室で亡くなっていました。
わたくし大日方理子は、13年前、おおたわさんがテレビ出演する時のスタイリストをしていました。その後、著書を読んで衝撃を受け、今回インタビューさせてもらったのです。全3回の第1回目は、「自己肯定感」について、聞きました。

――『母を捨てるということ』の中に、「私は不安定で自己評価が低い人間だった」という一文があり、驚きました。私が知っているおおたわさんはいつもカラッと明るく聡明で、自己肯定感が低いイメージはありませんでした。
おおたわさん(以下おおたわ):テレビを見ていた方も、いつも平常心でざっくばらんに話す明るい人というイメージを持ってくれる人が多いみたいですね。私の場合、自分のネガティブなドロドロした部分は見られたくないと思っていたから、明るい面を表に出してきたのかもしれない。ごく一部の人、大学の同級生や夫とかは、私の不安定で暗い面を知っていると思います。
<怒りながら母の口から出るのは、いつもきまって「ほかの子とおんなじでどうするのっ?ふつうでいいわけないでしょ!」。このセリフだった。
それは、「おまえはふつうにしていたら価値がない人間だ。誰よりも頑張らなくちゃ許されない人間なんだ」と言われているようだった>(『母を捨てるということ』より)
――子どもの頃、親に否定され続けると自己肯定感が育たない、と一般に言われますが…おおたわさんはどんな子でしたか?
おおたわ:小学校の頃はとてもおとなしい子でした。先生が「わかる人、手を挙げて」と言って、答えがわかったとしても、みんなの前で発表するのが怖くて、手は上げられなかった。運動会では1番を取ると目立ってしまうから、わざと遅く走っていました。爪を噛んだり、髪を抜いたりという自傷もひどかった。
おおたわ:この頃は、自分の容姿にも性格にも自信がなくて「私なんかダメだ」と思っていたんです。母にも、「おまえは醜い」「デブだ」と毎日のように言われていました。
自分の顔が嫌いで整形手術を受けたくて、お年玉やお小遣いを貯めて、中学3年の春休みに美容整形クリニックに電話をしたことがあります。まだ子供だったので、電話したらその日のうちに手術の日程が決まって、春休み中に全て顔が変えられて、高校からは新しい人生が始まると思っていたんですね。でも、カウンセリングの予約を取れるのは来月と言われ、高校入学までに間に合わないと分かって、整形手術を受けることを諦めました。
――お母さんも、何度も整形していたそうですね。
おおたわ:はい。「自分の顔が大嫌い」というのは、結局、「自分が嫌い」ということの表れなんですよね。
今となっては、あのとき整形しなくて良かったなと思っています。
私は優しい父のことが大好きでした。亡くなってから日が経つと、だんだんと普段父がどんな表情をしたのか忘れちゃうんですよね。ふと鏡を見たときに、左右の目の2重幅が違うところが父にそっくりだと気付いたのです。
それ以来、整形するのはやめておこう、自分の顔を好きになれるような生き方をしていこうと思っています。しわはこれからも増えるけれど、そんな自分の顔も許せるといいなと思います。
注射器が散乱している家




