――ダンボールギターのクオリティを見るととても素人の腕前とは思えないのですが、なにかものづくりのお仕事をされているのですか?
ゆっきー:いえ。私は全然違う仕事をしていて、工作は小学生以来だから約20年ぶりです(笑)。
――ちなみに、製作にはどのくらいの日数を要しましたか?
ゆっきー:Iのほうは2024年4月から作業を始め、5月の頭には完成しました。とは言ってもずっとギターづくりに集中していたわけじゃなく、仕事をしながらの1ヶ月です。
IIのほうは2024年9月に作業を始め、仕事が忙しかったので完成したのは11月の中頃でした。でも、実際の作業時間はIのときとほとんど変わらず、だいたい1ヶ月弱ほどです。

「II」は光る仕様になっている
――結構、早くできるものなんですね。
ゆっきー:たぶん、皆さん同じぐらいの早さでつくれちゃいますよ。私自身、それほどすごいことをしたとは思っていなくて、その気になれば皆さんもできると思います。
――Iをつくったときに「もっとできたんじゃないか?」と思ったそうですが、その心残りはIIの製作で払拭されましたか?
ゆっきー:う~ん、ある程度はですね。やっぱり、IIについても「もうちょっと、こうすればよかったな」という心残りはあります。
高見沢さんが持っている本物はボディとポジションマークの部分が光るのに、私のギターが光るのはボディだけなんです。「もうちょっとこうすれば、ポジションマークも光ったんじゃないかな」という後悔は、私のなかにあります。もう少し工夫すればできたはずなのに……。

暗い場所で光ると幻想的!
――ダンボールギターの3代目をつくるときは、ぜひその部分にも挑戦してください!
ゆっきー:ダンボールギターをつくるのは大変なので、いつかは……(笑)。
――32歳のゆっきーさんがそこまで熱烈な“高見沢ファン”になった経緯が興味深いです。きっかけは?
ゆっきー:出会いは小学5年生のときでした。
当時、THE ALFEEがアニメ『ドラえもん』(テレビ朝日系)のエンディングテーマ「タンポポの詩」を歌っていて、その曲がすごく心に残ったんです。
「諦めないで頑張り抜く」「雨にも風にも負けないタンポポのように」という歌詞が、本当に私を励ましてくれて。
――その歌詞は高見沢さんが書いたんですか?
ゆっきー:そうです。作曲も高見沢さんでした。ただ、私はどんな人が歌っているか知らなかったんですね。それまで、THE ALFEEを知らなかったんです。
そしたらある日……昔、『ドラえもん』をやって、『クレヨンしんちゃん』をやって、8時から『ミュージックステーション』をやる流れがありましたよね?
――テレビ朝日、金曜の黄金の流れですね!
ゆっきー:その流れで、『ドラえもん』を見て『クレヨンしんちゃん』を見て「ドラえもんの歌、いい歌だったな」と思っていたら、ある日、『ミュージックステーション』にTHE ALFEEが出てきたんです。そこで初めて見た3人が、もう衝撃で!
――どう驚いたんですか?
ゆっきー:「王子様がいる!」って、高見沢さんに一目惚れしてしまいました。夜も寝られないぐらい好きになっちゃって! 私にとって、ほぼ初恋です。
――小学生が高見沢さんに一目惚れ! たしかに、あのルックスは現実に現れた王子様ですよね。
ゆっきー:お母さんに「ちょっと、テレビに王子様いたんだけど。私、もうあの人と結婚するわ」ぐらいの勢いで思いを伝えたんですね。もう、「結婚、結婚!」みたいなテンションになっちゃって。そしたら、母のほうはそんな私にショックを受けたみたいで。
――なぜ?
ゆっきー:当時、高見沢さんは49歳でした。だから、「50になるおじいちゃんだよ、やめなさい!」って(笑)。事実、高見沢さんはうちの母より14~15歳年上なんです。
で、同級生もTHE ALFEEに興味がないんですよ。いくら『ドラえもん』の曲を歌っていると言っても。
年齢差、そして周囲との熱量のギャップですね。誰にも話が通じないし、お母さんにも反対されるし。お母さんより年上という事実は、私にとっても衝撃でした。「おじいちゃんじゃん!」ぐらいな。「私はなんて人に惚れてしまったんだろう」って。
――その後、ゆっきーさんの“ALFEE愛”は続きましたか?
ゆっきー:続きませんでした。心が折れた、という表現が正しいかもしれないです。当時の小学生の間ではモーニング娘。が流行っていたので、どうしても話題はそっちへ話題は流れていくし。
だから、一気に燃え上がって一気に失恋したみたいな。私は「初恋と失恋のダブルパンチ」と呼んでるんですけど(笑)。
その後、中学、高校、大学と学年が上がっていき、THE ALFEEのことは私のなかで一つの思い出になりました。ショックが強かったので、ある意味、記憶に蓋をしていたかもしれません。
――トラウマに近いですね。
ゆっきー:そうですね。否定され、学校では誰にもわかってもらえず(笑)。ある意味、なかったことにしていました。
中学以降は亀梨和也君を好きになったり、アニメをいっぱい見たり、興味を別の方向へ持っていきながら生活していました。たまにテレビにTHE ALFEEが出てきたときは、逆に見て見ぬふりをするぐらいの態度で(苦笑)。
なぜなら、それはつらい思い出だから。おっしゃるとおりトラウマに近いですね。学校で誰にも通じないって、子どもにとってショックじゃないですか? と同時に、お母さんに年齢差を聞かされて余計にショックで。だから、「これは危険な恋だからやめよう」と……。