ところが、当人の素顔が『あさイチ』で明かされた。それは、撮影してディレクターがOKを出す前に、楽屋に戻って着替えてOKの声とともに帰るというものだった。演技に過剰な思い入れがなく、たとえが古いが9時5時OLのように“仕事”と割り切っているのだろうと筆者は確信した。
好みは人それぞれ。北島マヤや姫川亜弓のように演技に全人生を賭けているような俳優を好む人もいるだろう。映画『国宝』の喜久雄と俊介もそういうタイプであろう。
一方で、ヘンにストイックに演じることを突き詰めている俳優、あるいはそう見せている俳優は重く感じ、ライトにサバサバしたムードを好む視聴者もいるだろう。先述したようにそういうほうが共感を呼ぶこともあるに違いない。だから、彼女はたくさんの支持を得て活躍していった。が、役的には、本人のやんちゃさや雑味やドライさを活かしたような役ではなく、悪女でもなく、健気でピュアなさわやかな役が多かった。
『かくかくしかじか』は出世作の『半分、青い。』を彷彿とさせるキャラだった。漫画を目指すキャラつながりということもあり、がむしゃらなところも少し似ている気がする。すんっと澄ました上善如水タイプではなく、にごり酒のような、澱や灰汁のある人間くさい役。だからといって純粋じゃないわけじゃない。ほんとうは純粋すぎるほど純粋、泥だらけの純情とでもいうような役。こういう役がやっぱり似合うと思ったところの今回のスキャンダルだった。

映画『かくかくしかじか』公式サイト
真実はまったくわからないし、素の彼女のことも知らないけれど、お行儀がよくないと排除されるような世の中はあまり面白くない(不倫を推奨しているわけではありません)。今後はやんちゃ派として活躍してほしい。そういう女性を描いた作品が生まれるといいなあと思う。
<文/木俣冬>
木俣冬
フリーライター。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。『ネットと朝ドラ』『
みんなの朝ドラ』など著書多数、蜷川幸雄『身体的物語論』の企画構成など。Twitter:
@kamitonami