ピコ太郎のプロデューサー古坂大魔王の「底抜けエアライン」時代の元相方 ゲーム会社勤務へ

ノーボトム!「HAL+」get over the records
ピコ太郎のプロデューサーである小坂大魔王は、以前は小島忍とともに「底抜けAIRLINE」というコンビを組んでおり、ボキャブラ天国で人気を博していました。しかしボキャブラブームが去ってから仕事が激減。
その後、小坂大魔王と2人でお笑いと音楽を融合させたテクノユニット「NO BOTTOM!」を始動させましたが2005年脱退。現在ゲーム会社でプロデューサーとして活躍しているとか。ちなみにコンビになる前はトリオだったこともあり、その時のメンバーは今は役者を経て、現在は企画・演出・制作などの裏方スタッフ業やゲーム関係の仕事に携わっているようです。
有吉の「猿岩石」時代の元相方 芸能界を出たり戻ったり…

元・猿岩石 森脇 和成「もしかして、崖っぷち?」KADOKAWA
今となってはテレビで見ない日はないほどの売れっ子芸人・有吉弘行も、かつては「猿岩石」というコンビ芸人。ユーラシア大陸横断で一躍時の人となりましたが、あっという間に“あの人は今”状態に。
そして相方だった森脇和成は、解散後は早々に芸能界を引退し、実業家に転身。が、すぐに失敗。その後も職を転々としています。2016年に芸能界復帰をしたものの、あっという間に消えてしまいました。今はどうしているのか……。

「U-1グランプリ CASE05 『ジョビジョバ』 」ポニーキャニオン
「お笑いタレントでもなく、俳優でも無い。かといってアーティスト(芸術家)でも無い」という独特のスタンスで活動していた演劇コントユニット・ジョビジョバ。
2002年に活動休止してからは、メンバー6人は所属事務所もバラバラになってしまい復活はないと思われていました。さらに、内2名が芸能界を引退したことも復帰が難しい要因に。しかし、2017年のゴールデンウィークより再始動することを宣言。今後も自分たちのペースで舞台活動を続けていくようです。
1995年に芸能活動を引退した千葉麗子は、ゲームソフトウェア会社に一般OLとして就職した後、ベンチャー企業 「チェリーベイブ」を起業しました。その後、2011年の東日本大震災と福島第一原子力発電所事故を機に、原発反対デモに参加するように。
しかし、運動を取り仕切っていた左翼グループの排他的な体質に嫌気がさしたとのことで、2014年前に決別。2016年には、その左翼団体の実態を暴露した著書『さよならパヨク チバレイが見た左翼の実態』を発売して話題に。現在入れ込んでいるのは、「超国家主義」の街宣活動だとか。
さまざまな理由から芸能界を去っていった人々。姿が見られなくなるのは残念ではありますが、彼らの決断と新しい人生を陰ながら応援してあげたいものですね。
<TEXT/もちづき千代子>
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フリーライター。日大芸術学部放送学科卒業後、映像エディター・メーカー広報・WEBサイト編集長を経て、2015年よりフリーライターとして活動を開始。インコと白子と酎ハイをこよなく愛している。Twitter:
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