森林:本能を呼び覚ましたり、理不尽への耐性をつけるといったトレーニングは、家庭の教育ではできないのでしょうか。
湯山:理不尽を教え込むのは、かつては父親の役割だったんだけど、今は無理でしょうね。それに、家庭内における母親の力が強すぎて、子供の本能や欲望をすぐにコントロールしてしまうでしょう?
友達みたいな親とか、なんでも言える家庭みたいなのも、あんまりよくないと私は思うんだけど。
森林:どうしてですか?
湯山:それは、うちがそんな家庭とはほど遠かったから(笑)。申し訳ないが、自己肯定です。両親ともに音楽家で、家で仕事の愚痴を言いまくっていたし、茶碗を投げ合うような夫婦喧嘩も日常茶飯事。嫁と姑も仲が悪くてしょっちゅうバトルしていた。私はそんな理不尽に黙って耐えてるしかなかったわけ。
森林:教育の専門家とかに言わせたら、そんな家庭環境では子供の非行やいじめの原因になりますよ、と言われそうですけど……。
湯山:たしかにいじめっ子だったこともあるけど、次の1年間ガツンと仕返しにあって、クラスでハブられたりしてた。でも、案外へこたれなくて、これで一人でじっくり本を読む時間ができるからいいや、と図書室にこもってたね。
森林:読書という自分の世界を持てたんですね。ご両親に相談したりはしなかったんですか?
湯山:話したところで取り合ってくれないし、気持ちもわかってもらえないから、親には頼れなかったな。でもその代わり、ご覧の通り管理されたり支配されたりするのが大嫌いで、自由と自立気風の人間にはなった。それは、育ってきた家庭の「理不尽」との葛藤のおかげでしょうね(笑)。