栃木の“レモン牛乳”、消えて復活した懐かしの味【カレー沢薫の「ひきこもりグルメ紀行」】
【カレー沢薫の「ひきこもりグルメ紀行」Vol.12 栃木「関東・栃木レモン」】
今回のテーマ商品を見てまず「なつかしい」と思った。
その商品を知っていたわけではない。ただ交番の前を通るとき、身に覚えがないのに斜め上一点を見つめながら早歩きになってしまうように、このパッケージを見たら多くのSU(昭和生まれ)が「なつかしい」と感じ、片やHU(平成生まれ)は「レトロかわいい」などとしゃらくさいことをぬかす、そんなデザインだ。
というわけで今回のテーマは「関東・栃木レモン」だ。
レモンの絵が描かれた牛乳パックに緑の文字でそう描かれている。イラスト、フォント、カラーリング、全てが懐かしいデザインだ。
名前だけ聞くとどういうものかわからないが、簡単に言うとレモン牛乳、その見た目どおり、生まれたのは、戦後まもなくである。
もとは「関東レモン牛乳」という名前で宇都宮の「関東牛乳」が製造を始めた。
「甘い牛乳」を作ろうという「でかいハンバーグ」ぐらい単純なテーマで作られたようだが、この「甘い」というのが当時はとても重要だったのである。
今でこそ甘味にはことかかない。砂糖は安いし、セロテープのノリも舐めれば甘い。むしろ大体のものは舐め続けると甘くなる、そんな世の中だ。
街は色とりどりのスイーツに溢れ、「インスタ映え」の筆頭となり「いいから食えよ」と言いたいほど写真を撮られてネットにアップされている。
しかし戦後は甘いものが貴重だったのである。
よって「甘い牛乳」であるレモン牛乳は、特別な給食に出てくるぜいたく品として、絶大な子どもの支持を得たのだ。
そんな当時の子どもから見れば、甘味を前に、とりあえず写真を撮り、むしろそれがメインであるかのように、スイーツを扱う現代人は異常に見えるかもしれないが、ある意味余裕ができた、豊かになったともいえる。
スイーツを見た瞬間、とりあえず遠くから石を投げて爆発物じゃないか確認したり、その場にいる人間全員をいかに葬って、一人で食うかを考えるような時代が来るよりはいいだろう。
こうしてレモン牛乳は長く子どもたちに愛されたが、ある問題が起きる。少子化で、その子どもの数自体が減ってしまったのである。学校給食が主な販路である関東牛乳にとっては大打撃だった。
商売というのは何事も需要あってのものである。
本屋に「月刊い草職人」という、誰が買っているかわからん雑誌が毎月入荷されているとしたら、それは毎月買っている、い草職人や、い草職人フェチがいるということである。逆に、買う人間が皆無だったり、採算が取れないぐらい少なかったら、商品は消えるのだ。
そういった理由で「関東牛乳」が平成16年に廃業してしまい、同時にレモン販売もなくなってしまった。
何かが販売中止になると必ず「なんで?好きだったのに」と言い出す者がいるが、誰も買ってなかったからだ。「好き」と「金を出して買っていた」は全く別である。
しかし、なくなると聞いた瞬間、惜しんだり、買い占めたり、メルカリで転売してしまう俺たちだ。
戦後まもなく生まれた、甘い牛乳
メーカーがまさかの廃業…
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