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『逃げ恥』が賛否両論でも「星野源がいれば大丈夫」と思える理由

陰と陽を混ぜていい色にする才能

 新たに加わった部分には「常に嘲(あざけ)り合うような僕ら」「僕らずっと独りだと諦め進もう」というやや陰キャめいた歌詞があった。そこで思い出したのは朝ドラ『半分、青い。』(2018年上半期)の主題歌「アイデア」。  ポップでノリがよく朝ドラのオープニングにふさわしい曲のフルバージョンが発表されたとき、その世界は朝から真夜中へとがらりと反転し、笑顔の裏にぞくりとするような顔がのぞいた。「アイデア」はでもまた光へと向かう。その緩急こそが生きることそのものと思えた。「うちで踊ろう」もそうだ。  きっと誰もが心のうちにオモえもんを飼っている。説明するまでもないと思うが、オモえもんは星野源が『LIFE !~人生に捧げるコント~』(NHK総合)という番組で演じているキャラのひとり。嫉妬深く重たい陰キャラである。  もちろん、人間が陰陽合わせもっているという視点は星野源の専売特許というわけではない。いくら星野源推しだとしてもそこまで彼を神聖化するつもりはない。星野源のもつ、陰陽を厳然と分けて光と闇の闘いを作り出さず、その色をパレットに出して丹念(たんねん)に見つめる慎重さと、どうしたら混ぜていい色になるだろうかと思案する想像力を尊敬するのである。

「逃げ恥」エンディング曲の「超えてゆけ」の意味

「逃げ恥」のエンディング曲「恋」の歌詞「夫婦を超えてゆけ」「ふたりを超えてゆけ」「ひとりを超えてゆけ」にしても、夫婦っていいものだけではない、ふたりっていいものだけでもない、ひとりもいいものというだけでもない、それらを超えた先になにがあるのか、熱狂や盲信ではない、内省を促してくれる。  例えば「結婚っていいもの」「ひとりよりふたりがいい」いやいや「孤独であれ」みたいな、いかにもなメッセージ性は、そのとおりと素直に思う人もいるが、必ずや、そうじゃないと思う人がいるのである。筆者なんてまさにそうで、反転したときの挑発的な部分にほっとする。  それはさておき。前述したように、いまの時代、ネットがあるので、膨大(ぼうだい)な人の思ったことが一気に可視化される。テレビドラマや映画や誰かのツイートを見たとき、心から解き放たれた「そうじゃない」という否定は大きなエネルギーになって違う意見に襲いかかっていく。そんなとき、言葉にならない音楽や絵画やダンスは、決定的な分断を避ける盾になる。  もちろんそこに人間の悲しみや苦しみ、社会への怒りがこもっていたとしても。言葉がないから、言質をとられずに済む(ちょっといやな言い方だけど)。  星野源の表現は、私達を分断するものから身を守る盾だ。
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紅白の衣装は白と紅を重ねたようなピンクだった
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