死後の映像シーンについても監督とやりとりできた作品に
しかしその変化からほどなく、道兼は命を落とす。この死の描写について、本編で用いられることはなかったものの、第18回演出の中泉慧と、印象的なやりとりがあったと言う。
「道兼が死んだあと、台本上では風景描写がインサートされることになっていました。そこの描写をどうしようかという話を中泉さんとお話できる機会があったんです。どういう映像になったかはここではお話しませんが、儚さの象徴として中泉さんは、死んだ蝶々をアリが運んでいる描写を入れたいとお話されていました。
そのとき僕は、第2回(「めぐりあい」)で父上と山の上から見た風景を改めて挟むのはどうかと提案させていただいたんです。あの風景が、18回まで経って、今どう視聴者に見えるか提示するのはどうかと。全く同じ風景なんですけど、15回からの4話で、道兼の印象もそうですし、あの風景自体もガラッと変わって見えたりしたら面白いんじゃないかと思ったんです。
それにしても死んだ後のインサートについて出演者と監督が話すというのは、なかなかないことです。僕自身は出ていないわけですから。そんなすり合わせをさせてもらえるなんて思っていなかったので、すごく印象に残っています」

そして道兼と道長の最後のシーンは、リハーサルで変更が加えられた。
「台本上では、疫病にかかってしまった道兼の見舞いにきた道長と、御簾越しに会話をして、“お前はこれからの人間だから、ここで死んだりしたら大変だ”と入ってこようとするのを突っぱねて、道長はそのまま去っていくとなっていました。それを佑くんが、“道長は御簾の中に入って行く。兄に寄り添う”と提案してくれたんです。道兼がゴホゴホ咳をして倒れ込むところをたまらず御簾をバンっとはねのけて入って来て、背中をさすりたいと。
もちろん御簾越しのやりとりでも演じられるし、もしかしたらそのほうがいいかもしれない。けれど、そこを佑くんが提案して、かつそれを貫き通してくれた。道長として道兼に再度寄り添ってくれたことに、“兄上は変われます”と言われた転換期があって、道長に救われたと思っていた思いが、その瞬間、一方的なものじゃなかったと分かった。すごく嬉しかったです」
ちゃんと嫌いでよかったし、ちゃんと好きになれてよかった
さらにカメラが止まってからの秘話も。
「劇中を通して、自分という存在をぶらさずに貫いてきた道長という人物が、これだけぶれてきた兄に対して、最後に寄り添ってくれたことに、すごく救われました。佑くんが道長でよかったし、佑くんと今回共演できてよかったと思いました。
いろんな思いが渦巻いたら、カメラが止まっても咳がとまらなくなっちゃったんです。そしたら佑くんがずっと背中をさすってくれて、“辛いよね、辛いよね”と言ってくれて。そのことも、自分の役割を、死を全うできるなと思えて幸せでした」
そして最後に、最初は大嫌いだった道兼から道長への思いを口に、玉置は道兼を生きた充足感の笑みを見せた。
「たとえばちょっと好きになる要素が描かれて、だんだん好きになっていったんじゃなくて、ずっと嫌いでガラッと変わるのって、ドラマチックさも生まれたと思うし、“今超好き!”みたいないい流れだったと思います。ちゃんと嫌いでよかったと思うし、ちゃんと好きになれて良かったなと思いました」
<取材・文/望月ふみ>
望月ふみ
70年代生まれのライター。ケーブルテレビガイド誌の編集を経てフリーランスに。映画系を軸にエンタメネタを執筆。現在はインタビューを中心に活動中。
@mochi_fumi