
「衛星とカラテア」ツアー時の写真。アイドル感のある「あざとい」表情に注目(’24年12月撮影、事務所提供)
大学生活の様子を聞くと……
「ありがたいことに、お陰様で、結構、ほんとに、ずっと……モテていましたね」
言葉を選んでいるようで、結果的にはモテてきたという事実を伝えてくれたのだった。
「フットサルサークルとダンスサークルの2つに入っていました。フットサルサークルの男子は全員、ダンスサークルの男子はうち半分から告白されました」
だが、モテすぎると大変なこともあるという。
「付き合っていなくても、誰かと遊ぶという約束をした時点で、その噂が広まるんです。寄ってくる男子には自覚的に『私たち、いい友達だね! 』と言うようにしていました。フットサルサークルは1年ほどいたあたりで全員に告白されたので、さすがにやめました。正直、女子たちには妬まれていたかも」

ミス明治学院グランプリ受賞直後の写真(事務所提供)
高校生の頃にミス青学に憧れていたという久木田さん。
ただ、自分が大学生になっても、ミスキャンパスコンテストに出るという発想はなく、1年生の時点でスカウトされても断ったほどだった。だが、3年生になって、友達に「出てみなよ」と説得され、半ば根負けするような形で出場を決意する。
久木田さんが出場した’20年は、それまでとは大きくルールが変わった年だった。
「コロナ禍だったので、本番が無観客だったんです。本番前のイベントもほとんどが中止になって。学校にも行けなくなって時間が空いた分、アプリで生配信をたくさんしていました。そこでついたファンの方々が本番でたくさん投票してくれたんだと思います」
他にも、外出が制限されたため、1度外に出ると、3着の服に着替えて写真を撮ってSNS投稿するなど工夫を重ねたという。
観客が学内からネット上に広がったことも功を奏したのか、見事グランプリを獲得。すると、多くの芸能事務所が、久木田さんに声をかけたのだった。
ファイナリストまで含めれば関東の主要大学だけでも毎年100人以上の“ミスキャン”が誕生する。久木田さんは、多くの事務所から声がけされたといい、各大学のグランプリの中でも、さらに「選ばれしグランプリ」だと言っていいだろう。
だが、もともと卒業後は“普通のOL”になるつもりだった久木田さんにとって、芸能事務所からのスカウトは人生の選択肢を増やし、悩ませるものだった。
「入学した当時は、卒業後はもちろん就職するつもりでした。教育発達学科だったので幼稚園の先生になるか、お菓子が好きだったのでお菓子メーカーに就職するかと漠然と考えていました。
配信をしていたらSNSにも興味も持って、関連企業にも内々定を頂いていたんです。それで、グランプリになった11月から、年をまたいで3か月くらい悩みました。
どうしたらいいかわからなくて、ひとりでよく泣いていました。早く決めないと就活も出遅れてしまいますし……。でも、最悪、就職は数年後でもできるなって」