あすかさんは、発達障害と診断されるまでも、日常的に「過呼吸」や「解離性障害」を起こしていました。
「過呼吸」は息を何回も激しく吸ったり吐いたりする状態です。パニック障害や極度の不安などで過呼吸になると呼吸ができず、息苦しさを感じます。
また、「解離性障害」とは「自分が自分である」という感覚が失われている状態です。冒頭の「自宅の2階から飛び降りて右足を粉砕骨折」も、解離性障害でパニックを起こしたためです。あすかさんの場合は、日々の出来事の記憶がすっぽり抜け落ち、その間に自傷行為を行うことが多かったとのことです。
「解離性障害の症状は、つらい体験を自分から切り離そうとするために起こる一種の防衛反応と考えられています。治療では安心できる環境にすること、家族や周囲の人が病気について理解することがとても大切です」(宮尾医師)
父親の福徳さん(67)は当初、あすかさんの解離性障害は治ると思っていたとのことです。
「宮崎大学の教育文化学部に合格した時は、現役で合格したので本当に喜びました。ところが、大学入学後、すぐに入院することになったのです。
リストカット、
夜中の徘徊、また
ホッチキスの芯の塊や洗剤を飲み込む。本人は覚えていないんですよ。診断名は解離性障害ということで、すぐに入院して原因を調べた方がいいとのことでした。
その時は発達障害とは医療関係者も誰も気づかず、私たちも解離性障害は治療さえすれば治るものだと思い込んでいました」
あすかさんの解離性障害の原因は「小さい頃から毎日練習してきたピアノが原因で、それがストレスになっているのではないか」という精神科医の話でした。そのため、医者からは「
ピアノを弾かせないように」ということを言われてしまい、あすかさんはさらにストレスが増していきます。
当時、発達障害について診断できるスペシャリストの精神科医は少なかったのです。そのため、的外れな原因で患者や家族が苦しむことになった一つの事例といえるでしょう。
「あこがれていた大学に通い始めましたが、度々、過呼吸発作を起こすようになりました。そのため、病院の精神科に入れられてしまいました。とても辛かったです。大好きなピアノを病院の先生に取り上げられて、鍵をかけられたピアノの前で毎日、泣いていました」(あすかさん)
父親は、小さい頃からのことを次のように話してくれました。
「あすかは小さいときから真面目な性格で、言われた通りに何でもするっていうところがありました。でも、それは別に欠点として思っていたわけではなくて、むしろ長所だと思っていたのです。
本人が『
人が自然にできることが自分にはできない』っていうストレスがどんどん溜まっていって、発達障害の二次障害が出始めたのだと思います。しかし、当時は解離性障害って言われていたのです。発達障害だということも知らなくて苦労しましたね」
解離性障害は、発達障害の「二次障害」として発症することがあるといいます。二次障害が起こるのは、小さい頃から「ダメ!」と強く叱られたり、周りから「変な子」などとの扱いを受けてきているケースが多いのです。
「そして思春期を迎えるころになると、勉強についていけなくなったり、スポーツが苦手だったりして、成功体験を積み重ねることができず、自信を失い、自己肯定感が低くなってしまうことがあります。
こうしたことが引き金となって起こる、情緒不安定、反抗的な態度や行動、不適応などの状態を『二次障害』と言います。
二次障害を防ぐには、身近にいる親や先生などによる支援が欠かせません。いつもと様子が違うと感じたら、その人の話にじっくりと耳を傾けてあげることです」(宮尾医師)