がん闘病中に不倫純愛に落ちた夫の、せつない告白|不倫男の胸のうち
<恋する「不倫男」の胸のうち――Vol.6>
「命に限りがあると実感して、不倫に走った男性がいる」と語るのは、不倫事情を長年取材し著書多数のライター・亀山早苗さん。闘病中、不倫の恋に身をやつすことになった男性の心情を、亀山さんがレポートします。(以下、亀山さんの寄稿)
「不倫」を一時の遊びととらえるか「恋」ととらえるか。男女関わらず、その人のスタンスは多様だ。もちろん中には「一時の軽い関係と思っていたが、つきあっていくうちに本気になっていった」ケースも少なくない。
「私の場合は、自分の命に限りがあると実感したことがひとつ、大きな要因だと思います。だから恋したいと思ったわけではないけど、出会ったとき進むことしか考えられなかった」
そう言うのは、カツヨシさん(47歳)だ。5年前、大腸がんと診断された。手術をしたが発見が遅かったこともあり、5年生存率は50パーセント。
「5年後にここに存在しているかどうか、確率は2分の1。その間に命を落としても不思議はない。なんというか不思議な感覚でした。言葉では『明日生きているかどうかだってわからないよ』と言ってはいたけど、やっぱりリアルに明日死ぬなんて思ってないわけですよ。がんになって初めて、本当に命には限りがあるんだとわかりました」
学生時代に大恋愛に落ちた3歳年上の妻と、25歳のときに結婚。告知を受けたときは、高校生の息子と中学生の娘がいた。家族仲はいいと思うと彼は言った。
「だけど私、医師に頼んでひとりで告知を受けたんです。家族を心配させたくなかった。気を遣われるのがいやだったんですよね。よくあるでしょ、おとうさんのがん告知を受けて、家族で一致団結してがんばっていこう、みたいなの。ああいうのが苦手なんです。私の身に起こったことは、できるだけひとりで抱えていこうと思っていた」
抗がん剤治療を受けながら仕事も続けた。上司には話してあったが、とにかくことを大げさにしたくなかったのだという。ふたりにひとりはがんになる時代、さらりと受け流して天命を待とうという気持ちだった。
「悟ったわけじゃない、むしろ心がずっしり重くてたまらなかった。だからこそ家族も含めて人には話せなかったのかもしれません。ただ、このまま死にたくはなかった。何か夢中になれることをしたかった」
若いころから何か楽器を弾けたらいいなと思っていた。いつか時間ができたらと先延ばしにしてきたが、手術から1年半、思い切ってドラムを習うことにした。
「家族はがんであることはもちろん知っていましたから、体力的に大丈夫かと心配してくれました。でも止めなかった。週に1回、土曜日に音楽教室に通うのが楽しくてね。なかなか進歩しないけど、それでも楽しいんですよ」
カツヨシさんは笑顔を見せた。その教室で知り合ったのが10歳年下のリョウコさんだった。同じ時間帯に隣の教室でサックスを習っている女性だった。教室終了後、サックスクラスとドラムクラスのみんなでお茶を飲んだり食事に行ったりするようになり、彼はリョウコさんに惹かれていった。
「だんだん帰りに食事に行くメンバーが限られてきて。いつも7、8人でしたか。男女半々くらいでした。私は彼女が気になっていたけど、もちろん個人的につきあいたいなんて思ってもいませんでした」
リョウコさんは結婚していることをまったく話さなかったから、彼は彼女が独身だと思い込んでいた。あるとき、たまたま帰りの食事会で居酒屋に行ったとき、彼はごく自然にリョウコさんの隣に座った。
「ごく普通の世間話から、仕事の話、音楽の話。気づいたらふたりで盛り上がっていました。店を出てもなんだか別れがたくて、もう一軒と誘ったら彼女も笑顔で『私もそうしたいと思っていました』って。明るくてはきはきしていて、とてもステキな女性なんです。あのころ、なんだかんだ言っても気持ちが弱っていたので、彼女の生命力に満ちた雰囲気に引き寄せられたのかもしれません」
軽くお酒を飲んでまた話して……。気づいたら終電の時間だった。時間を忘れて話したことにふたりで驚いたという。
「その日はそのまま帰りました。ただ、帰りの電車の中で、なんだか私は胸が締めつけられるように苦しくて。彼女を思うと胸がちくちくするんですよ。その正体が恋だなんて思ってもいなかった。私、結婚してから浮気ひとつしたことがなかったから」
病気になる前は妻とも月に数度は夫婦関係を持っていた。だが手術後は妻を誘えなくなった。できないかもしれないという以前に、したいという欲求がなくなっていたのだ。それでも妻と抱き合って眠ることはあった。
だがリョウコさんを思うと下半身が硬くなる。自分でも意外だった。
家族を心配させないため、がんの告知をひとりで受けた
今まで浮気ひとつしたことがなかったのに……
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