かつて映画監督は「女になれない職業」だった。74歳、女性監督の足跡と信念
映画監督の浜野佐知さんの著書『女になれない職業』(ころから刊)が話題になっている。
浜野さんといえば、300本を越えるピンク映画を撮った女性監督の草分けであり、一般映画も6本撮っている大御所にして現役バリバリの監督である。現在74歳の彼女が、この本を書いた理由とは――。
「自分が作った映画の記録、記憶でもあるんだけど、真の理由は、これから世の中に出ていく若い女性たち、そして映画を目指す女性たちに向けて『自尊心だけは守ってほしい』ということを伝えたかった。今はまだまだ、あらゆる業界が男社会だと思う。そこで仕事をしていくと、いろいろなことがありますよ。でも自分を守る力、自分を守る心だけは失わないでほしい。そんな願いをこめて、コロナ禍にせっせと書いたんです」
自尊心とは、浜野さんいわく「自分を信じること」であり、「ぎりぎりのところで自分であることを捨てないこと、これだけは譲れないという自分の核」だという。たとえどんな職業についていようが何をしていようが、明日を生きる上で譲れない部分だ。
「今までの日本の国は、おっさんたちが作ってきた社会だと思うんです。それだけじゃなくて、どんな業界でも上下関係はあるし、忖度もしないといけない。“自分自身”として生きられないこともあるけど、それでも許せることと許せないことがある」
「私自身、いろいろな壁にぶつかってきました。そんなとき、自分とは何か、私は何をやりたいのか、自分自身のために私は進むべきか退くべきかと常に考えてきた。いつも中心に自分がいたのね。自分の人生ですから当然のこと。でもそこで自分を捨てて要領よく生きていこうとしたり、男に媚びたりしていたら、きっと今はこんな気持ちでいられなかったでしょうね。常に自分を真ん中に置く。苦労はあるけど、そのほうが気持ちのいい人生を送れるんですよ」
徳島で生まれ、静岡で育った浜野さんの小学校時代の楽しみは、土曜日の午後、弟を含めた家族4人で映画を観に行くことだった。ところがその映画好きの父が、中学生のときに急逝。専業主婦だった母は苦労して働きながら、子どもふたりを育てた。映画を観に行くお金はなかったが、浜野さんは父との思い出をたどるように、土曜になると映画街に出向いて看板やポスターを見て歩いた。
そんなとき映写技師のおじさんと出会い、映写室から映画を観て心を鷲づかみにされ、毎日、映写室に通うようになった。「おじさん」から映画についてさまざまなことを教えてもらった。このときに映画に携わる仕事をしたいという希望が芽生えたのだろう。
高校卒業後、映画を学ぶ学校がなかったため、東京写真専門学院に入学した。たまたま草月アートセンターが映像作品を募集すると知り、仲間とともに映画を制作した。浜野さんは監督・脚本を担当。作品は公募で選ばれてスクリーンで上映された。
これで映画界への足がかりができたと思ったが、そうはいかなかった。