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話題の漫画『ダルちゃん』が今を生きる女性に迫る、究極の選択

「ちょっとバカな女」がモテる、悲しき現実

 2巻の中盤あたりから、シビアな現実が襲ってくる。ダルちゃんが「ほんとうの自分」で生きるためにやろうとしていることが、相思相愛の恋人からすると決定的に不本意であることが判明してしまうのだ。  ダルちゃんは究極の二択で悩む。「ほんとうの自分」を放棄するか、相思相愛の恋人を諦めるか。ここで読者は、ふとした疑問が頭をもたげるだろう。  もしかして、ダルちゃんはおとなしく擬態していたほうが幸せだったのでは?  擬態して「ふつうのOL」のままでいれば、「ふつうの男たち」から「ふつうに可愛がられる」に違いない。たしかに一度は辛酸を舐めたけど、次は注意すれば大丈夫。そういうカップルも、そういう夫婦も、我々の住む現実社会にはたくさんいる。彼女たちは、世間で言うところの結婚適齢期に、「ふつうに結婚」して、「ふつうに出産」して、「ふつうの家族」をつくり、「ふつうの幸せ」を、「ふつうに享受」しているではないか。「ほんとうの自分」で生きようとなんてするから、余計な困難をかぶってしまう。  ダルちゃんは、「ふつうの幸せ」を「ふつうに享受」するには、かしこくなりすぎたのではないか?
『ダルちゃん』2巻より

『ダルちゃん』2巻より

 はなはだしく時代錯誤、かつ女性差別的な「ちょっとバカな女がいちばん可愛がられる」という物言いは、さすがに公の場では言われなくなった。が、我が国の一定数の男性が潜在的に抱いている女性観としては、まだまだ根強い支持を集めている。悲しいかな現在進行形の現実として。  加えて、もはや死語になりつつある「女子力」も、男が喜ぶ定番の褒め言葉「さ・し・す・せ・そ」も、愛されメイクも、モテコーデも、ごくごく一般的な恋愛市場や婚活市場の枠組みの中でならば、「ふつうの男たち」にまだまだ有効だ。  女性が知的であること、進歩的であること、リベラルであること。男性への媚びを排除したファッションやふるまいを心がけ、自立的であること。それらは正しい。圧倒的に正しい。政治的にも、倫理的にも、現代という時流に照らし合わせても。  しかし、ちょっとバカで、古風な大和撫子で、男受けする装いで、かわいい困り顔で男に頼ってくるか弱い女性には、我が国ではいまだ目に見えて安定的なニーズがある。端的に言えば、モテる。一体どんな時代錯誤野郎にモテるんだよ!? といった、男性側の質を問う糾弾はごもっとも。であっても一定量のニーズは、厳然としてある。これもまた、悲しいかな現在進行形の現実として。  どんなに時代錯誤でも、ポリティカル・コレクトネスに反していても、歴史的に確立されたテンプレに乗っかることで得られる安心感に、多くの人間は飛びついてしまう。就活の面接でいくら企業側が「我が社は個性を重視する」と言ったところで、大半の人が髪の色を暗くして、黒のリクルートスーツに黒の就活バッグを装備して面接に挑むのと同じ。よほど己に自信がない限り、危ない橋は渡りたくない。テンプレなリクルートスタイルもある種の擬態だが、擬態は無難であり、安全であり、安心なのだから、さもありなん。
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「ふつう」と「ほんとう」、どちらが幸せか
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