
写真:日本雑誌協会代表取材
ただ、そういう彼を見て、さらに「彼にとって自身の存在の必要性」を感じているのは眞子内親王だろう。「私がいなければこの人はつぶされてしまう」と思っているかもしれない。恋心はさらに燃え上がるはずだ。
彼女は「皇室の一員」として、一般人とはおそらく微妙に異なる教育を受けてきた。両親に愛され、大事に育てられてきたが、自分が人を愛するときに何を基準にしたらいいかわからなかったということはないだろうか。
上皇陛下以降、皇室のありようは「ただひたすら国民の思いを受け止め、受け入れる」ことを責務としているように見える。つまり、エゴは通せないのだ。ところが「恋愛」はエゴを通すことでもある。眞子内親王が「恋愛」をどう進めたらいいかわからないとしても不思議はない。いきおい、彼女は受けとめ受け入れることで愛情を示した。だから「月」なのである。
常に変わらず人を淡々と照らし続け、見上げた人の心を慰め和ませる。それが自分の恋愛スタイルになってしまっているのではないだろうか。
内親王の結婚への賛否などを述べる気はさらさらない。だが憲法において「結婚は両性の合意のみに基づいて」とあるからには、秋篠宮が言ったように「それを尊重するべき」なのが大前提だろう。(皇族も、憲法が適用される“国民”なのかは議論があるとはいえ)
ただ、それ以前にたとえ皇室の一員であっても、高校、大学生時代に通常の学生たちがするような「淡い恋」「大人の恋」「ダメ男との恋」「フェイドアウトする恋」など、さまざまなパターンの恋愛をしておいたほうがいいのかもしれない。そうやって人は相手を見抜く目を養っていくものだから。
家族ではない、生まれ育った環境の違う人との「恋」は非常にむずかしく、そう簡単に「いい恋」など転がっていないことを知るために、そして恋がどれほど理不尽で不条理なものかわかっておくために。
「じゃんじゃん恋して、振ったり振られたりしながら、だんだん自分に合う人がわかっていくような気がするんです。好きだけど一緒に生きていくのは無理だとか、意見が食い違ったときにとことん話し合えないとは暮らしていけないなとか。
私自身、最近、結婚したんですが、いろいろ遠回りした気はします。でもお互いに相手を生かせる関係がやっと見つかったから結婚しました。たとえ皇室の方でも、もっと恋をしたほうがいいんじゃないでしょうか」
眞子内親王・小室氏と同世代の30歳女性と話していて、そんな発言が出た。そしてさらに、彼女は「離婚もありじゃないでしょうか」と語った。
皇室の一員、もと一員であっても、これからは離婚を視野に入れていい時代なのかもしれない。合わない相手と婚姻を続けなければならいほどつらいものはない。婚姻も離婚も、ふたりの意志と合意に基づいて、もっと自由になされていいなのではないだろうか。
<文/亀山早苗>
⇒この記者は他にこのような記事を書いています【過去記事の一覧】