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二度の性暴力を受け、障がいを抱えて生きる女性が“やり遂げたい2つのこと”

それから五年間、性暴力被害者のためのメールマガジンは一度も途切れることなく、刑法改正を願う人々に届けられている。 コラムを書いていて、さまざまなことに気づかされた。身近な人の言葉から出発して、加害者の言い分や、社会の言葉のなかにある論点のすり替えに気がつくことも多かった。

性暴力は個人的なトラブルではない

たとえば、わたし自身も、知人たちに投げかけられた次のような言葉を忘れられずにいた。 「もう大人でしょ? 刑法を変えるなんて、そんな夢みたいなことばかり言うのはやめなよ。騒ぎ立てずに民事裁判をすればいい話じゃないか」 池田鮎美著書202307たぶん彼らは、わたしのことを個人的なトラブルを騒ぎ立てる人と感じ、煩わしく感じたのだと思う。 でもそれは、犯人が言った「お前が悪い」という言葉とほとんど意味は同じだった。要するに、被害者に対し、性暴力に従えと言っているのだ。子どもを諭すような口調で言われたことにも、とても傷ついたのを覚えている。 そこにどんな論点のすり替えがあったのかというと、少し真面目な話になる。 民法は、個人的なトラブルを解決するためのルールだ。一方で、刑法は社会生活における禁止事項を示したものだ。性暴力は加害者に原因がある社会問題なので、本来は性暴力を裁くのは刑法なのである。

性暴力を取り締まれない、裁けない社会

それなのに、こんなふうにして、被害者のあらゆる言い分を「個人的だ」と言って取り締まる言葉が社会にあふれている。それなのに、性暴力を取り締まることができない現実にはさまざまな理由がつけられ、その後ろめたさを上手に無視するこのできる仕組みができ上がっていた。 そのおかげでと言うべきか、残念ながらと言うべきか、わたしが書くことに困ったことは一度もないのだった。 池田鮎美著書202307時折、読者からの感想がわたしの元に届いた。 高齢の男性から「こんな問題が日本にあるなんて、長く生きてきたけれど、恥ずかしながら何も知らなかった」という感想がきたこと。久しぶりに会った人が「読んでるよ」と声をかけてくれたこと。知らない人から「書いてくれてありがとう」というメールがきたこと。 そうした反響を聞いて、夫や幼い娘たちは、もしかするとわたし以上に、ひとつひとつを嚙みしめるように喜んでいた。
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性暴力被害の経験をオープンにして働くということ
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