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世界が注目する日本人の女性監督「障がい者という言葉を変えたい」

あえて日本人のいないユタ州へ留学

――監督は幼い時から 「とにかく日本を出たい」と思っていて、18歳の直前にアメリカへ留学されました。私も同じ年頃にアメリカに留学したのですが、監督の英語は非常に流暢で元留学生のレベルを超えていますね。
HIKARI監督

HIKARI監督

HIKARI監督「ハハハ(笑)それは、あえて日本人のいないユタ州を選んだからじゃないですか? 今でこそユタ州には色んな人種の人がいますが、当時は白人ばかりでアジア人は私だけ。母国の人たちがいない街に住むのが英語力が上手になる一番の近道だと思います。あと、小さな頃から合唱、ミュージカルやオペラをやっていたので、色々な言葉の歌を歌っていたから耳が外国語に慣れていたのかもしれませんね」 ――日本語を話せない環境にあえて飛び込んで行ったのですね。ユタ州の大学では舞台芸術、ダンスや美術を学び卒業後は、LAへ移られたとか。 HIKARI監督「はい、LAでダンサーや女優として働いていました。ミュージックビデオで踊ったり、TVコマーシャルに出たりするうちに、カメラの勉強もしてないのにミュージシャンの写真も撮るようになり(笑)。エミネムなどヒップホップアーティストの撮影もしていたんですよ」 ――それはスゴい! それから映画監督になったきっかけは何だったのでしょう? HIKARI監督「28歳ぐらいまでは女優やダンサーとしての仕事がバンバンあって結構稼いでいたんです。ところが29歳になった途端、仕事がなくなったんですよ、ほんまに! あの当時、ハリウッドで30歳手前のアジア人の女優に来る役柄は銀行員とか医者ばっかりで、それは私とは全然違うし……。そこで日本の母親に電話で相談したんです。そしたら、『少中高と舞台の脚本や演出をしていたんだから、そういう方向性は?』と言われ、『面白いかも!』と。国内でトップのフィルムスクールをPCで検索したら南カリフォルニア大学(USC)が出てきたので、受験してみようと。それでカメラマンと監督の勉強をすることとなり、今に至りました」
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ハリウッドでは今、アジア人が熱い!
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監督・脚本:HIKARI 出演: 佳山明、神野三鈴、大東駿介、渡辺真起子、熊篠慶彦、萩原みのり、宇野祥平、芋生悠、渋川清彦、奥野瑛太、石橋静河、尾美としのり/板谷由夏 2019年/日本/115分/原題:37 Seconds/PG-12/配給:エレファントハウス、ラビットハウス/ 挿入歌:「N.E.O.」CHAI <Sony Music Entertainment (Japan) Inc.> 2020年2月7日、新宿ピカデリーほか全国順次ロードショー
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